四万十川の河口から上流へ約1km、対岸側の間崎と
   光明寺の法雲山に架った虹の写真

ごあいさつ

光明寺は、日本最後の清流「四万十川」の汽水域、下田に位置し、上は「土佐の小京都」と呼ばれる中村、下は黒潮かおる太平洋に面しています。
流域は、土佐西南大規模公園に選定され、国の定める重要文化的景観が多々あり、至上の自然楽園と言えます。
それゆえ、この自然(汽水域)を自然(じねん)と領解いたしますと、今あるがままの自分(汽水域の水)が自然の作用により、海水に乗せられて弥陀の本願海に帰入させられるところと言えます。
ここ下田で広大な自然の空気を胸いっぱいに吸い込み生命の息吹をいただける新たなる自由なふるさとをもちませんか。

12代目住職 (釈善顕)


由来/沿革

戦国時代、伊予の国の武将河野教宗はここ下田の地で仏門に入られた。
その後、京都に上り西本願寺で弥陀(得度)を受け、帰国後に現在の「光明寺」より南東側に約350m離れた小高い丘に「浄光寺」を建立した(1650〜60年?)。
1662年に柴藤新蔵(河野栄宗)が「浄光寺」の初代住職となった。
柴藤の子孫がこの地で布教に精進する中、二度の火災(1680〜1780年推定)にあい貴重な品を多く灰にした。
檀信徒で時の富豪であった、新屋市衛門が私財を投じて、現在の場所に「浄光寺」を再建立した(〜1800年推定)。
明治4年、廃仏毀釈制度によってお寺は廃寺となり寺籍をなくしたが、大正元年(1912年)には檀信徒が静岡県より「光明寺」の寺籍を購入し、「浄光寺」から「光明寺」に変更した。
その後、檀信徒により本堂の改築が昭和6年及び平成元年に行われた。
また、宗教法人設立(昭和28年)、永代納骨堂の建立(平成24年)などが行われ、今日、12代目の私に及んでいる。
多くの檀信徒によって支えられている「光明寺」は、四万十地域では最も古い浄土真宗のお寺です。



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