日本寒蘭 CLASSIC |
【4ページ】 人工交配捏造派の言い分 山蒔きなど人工交配品種を自然種として偽って発表している人たちにも言い分があります―― 山採り苗を採集するとき、その地下茎を採取して持ち帰り鉢に植えるのですが、あまり大きな苗が期待できないし、よく腐らせて失敗するので、発芽環境の良い採集者が住む地域の山に移植した。これらが後に交配を重ねたかもしれない―― 木の伐採や狩猟に出かけた人が、山でちょっと気に入った花を見つけて、自宅の裏山に移植した。これらが交配を重ねたのであろう―― 昔の間違った自然保護の考え方から、「寒蘭を山に還そう運動」みたいな事が小規模に行われたことがあった―― 「かつてこのような事をしていた人もいるのだから、おれたちのやることに文句を言うな! おれたちが山蒔きを人工交配種として発表しなければいけないとしたら・・・前例であるこれら件はどうするのだ!」 一般に寒蘭の人工交配がなされていなかったとされる時代にも、上記の様な例が少なからずあったことは事実です。 しかし、今日の人工交配の山蒔きや交配によるフラスコ苗の作出は、考え方の違いも明らかで、その規模は桁違いです。 収集家のコレクションも、全国あらゆる産地の銘品や無銘品に及び、多くの名花が出そろった今の時代に、優良品種同士の交配を手当たりしだい、むさぼるように行っている。 知ってか知らずか杭州寒蘭や、素姓の知れないシンビジュウムとの雑種を使っているケースもある。 過去にも違う場所の個体が掛け合わさった事例があるのなら、自分たちもそれを行い、しかも、捏造してもかまわないという身勝手な理由です。 自然種認定 ××年ほど前、とある寒蘭会の大規模な展示会で葉も花もまったく寒蘭ではないものが雛壇(上位入賞)に展示されていました。それを目にしてすぐ審査部トップの方に、寒蘭として審査し上位入賞させるのは「寒蘭界にとっても会にとっても重大な失策になります!」と直訴したのですが、それを出品したのがその会の幹部役員ということもあってか? 全くとり合ってくれなかった。 その後、この種間交雑品種は戻し交配が進んで、一大系統になりました。かなり見分けがつきにくくなり、中には純粋な自然種の寒蘭として命名登録に至ったものもあります。 (種間交雑種を日本寒蘭として)出品、展示を防げなかったことを後悔したのですが、それが結果的に会誌に掲載した写真というかたちで記録され、事実を伝えることになります。 私は以前、寒蘭愛好会が会誌を発行するとき、その意味合いは広報として「今の情報をみなさんに!」程度に思っていたのですが、過去を検証し真実を推し量ることができる大切な「記録装置」だと気づいたのです。 それはまさに、世界史や日本史、郷土史などの歴史を検証するとき、残された「資料」や「痕跡」をひも解くのと全く同じですよね。 愛好会の会誌の記事や写真、業界の写真集、ポスター、カレンダーは「資料」になり。 「痕跡」は、「その産地に昔と変わらず従来の系統が小規模に発芽する」とか「産地の様相が変わり、以前は存在しなかったものが生えている」などの状況を指します。 「資料」と「痕跡」で自然種か、人工交配による捏造品種か、ある程度判断できるはずです。 一応の目安として西暦2000年以前に発表されている銘品や無銘の優良品ですと、ほぼ自然種と判断しても大丈夫ですが、しかし、それ以前の品種にも例外があります。調べたところ、高知県は他の地域より10年以上も早く山蒔き人工交配が行われていたようです。山蒔きの先駆者と呼ばれる方が何人かおられました。(このなかには、公言していた人と、秘密に行っていた人たちがいらっしゃいましたが) 「長年にわたり優良品種の花の部分だけを買いあさっていた人」に至っては、多くの品種を使い何代も交配を重ね、殆ど一大プロジェクトといった大規模なものだったでしょう。 その人たち由来の品種は、精査する必要があると思います。 第一次と第二次寒蘭ブームをかいくぐって誰にも見つからずに存在し得ただろうか? あらゆる系統が産出する巨大なコロニー! 不自然な状況で発表された、既存の銘品や優良品種の特徴を併せ持った新品種! 私は業者(専門家)として、これらを「自然種ですよ!」と、お客様に紹介する訳にはいかないのですよ! 2005年以降の山採りは、ほぼ絶望的でしょう。人工交配の山蒔きがあらゆるところで、多くの人の手で行われるようになった昨今です。 嘆かわしいのは、本当の自然種が特定できず、自然種の山採りであるか? 山蒔き人工交配苗を収穫したに過ぎないのか? わからなくなった事です。 以上の理由から私は山採り苗から新品種を発掘、選出することをやめました。 自然種である新系統や新品種の出現は時代が進むほど、その数が頭打ちになり減っていくのが常識で、それが、「出尽くした」どころか自然種の新系統、新品種ラッシュという不自然な状況です。 しかし、最近の登録品種の中にも昔から長い無銘時代を経ていたものもあり、本当の自然種があります。 これらの自然種としての肩書をできるだけ守りたい思いもあります。 自然種であるか否かは、業界で見解を統一するほうがいいのですけど、最初は意見が割れるでしょうね。 急いで白黒分けてしまうのではなく、しばらく保留にする品種もあるでしょうし。 ある業者の主張では「認める」が、この業者は「認めない」ということが当然、起きるでしょう。 食い違う場合、寒蘭愛好家の方々は対立する意見の言い分を参考に判断することになります。主張している人のモラル、信用度、何より証拠を示せたか? 状況がおかしくないか?・・・などです。 人工交配種を作出している人のなかには当初、正直に「私が作った人工交配です!」と自信満々に発表していたのに、思いのほかウケが悪かったので方針を変え、人工交配品種を自然種として偽って申告するケースも増えてきました。 人工交配苗を作出、培養する設備を持っていて、または、人工交配の山蒔きをずっと行ってきて、人工交配苗を多数所有している人が「不自然な新品種」を発表したとき「本当にこれは自然種です!」と言っても、果たしてそれを認める事ができるか? ということになります。 「自然種認定」は「おたくの品種を自然種として認めるから、ウチのも認めてくれ!」などと取引に使われるようなものであってはなりません。 人工交配をしていない業者の方も、何でもかんでも自然種としての自己申告を額面通りに受け止め、それをあつかうのではなく、調べて(たとえ利益が少なくなろうとも)正しく申告することが信用というものではないですか? 業者(プロ)のプライドをかけてそれを示していただきたいと思います。 それから、報告しておかなければならないこと―― 「自然種認定」にとって、〈払越し〉〈日本一系〉など、同系統同士の交配が一番の泣き所です。同じようなものが作出されて、いかなる鑑定眼を持ってしても難しいでしょう――これらをどう扱うのか? ――これは宿題として持って帰ります。 (※私はこれを生業にして生活をしていることを思ったとき、上記の主張を単なるきれい事と誤解されると困ります。 『きれい事は』自らの足かせになることですし、それよりも、何より恥ずかしいことです。 自分自身にとっての「良かれ」を選択したまでのことです。) 伝統園芸寒蘭と人工交配寒蘭の分離 私は数年前から、初めてお会いした方を含め、寒蘭愛好家さんに「寒蘭の人工交配についてどう思われますか?」と聞くようにしていますが―― 言わば市場調査です。 7割に近い方から・・・「仕方のない事だけど・・・」から始まる人工交配に否定的な意見が返ってきました。 その反面、人工交配を行っている人や競技志向の強い方に見受けられるのですが、積極的に受け入れている人、熱烈な人工交配ファンの方もいらっしゃいますが・・・決して、古典(従来)の考え方の人が、少数派ではないのです。 そこで大きな疑問が残ります―― 業界や団体にしても、ルールやシステムが変わるとき、それを二分する大きな論争になるはずなのに、こんな大切なことが、ろくに議論を闘わせることもなく、この「変化」が有利になる人たちに押し切られたのでしょう―― それは、一部の人たちが秘密裏に行って、徐々に進行し、気が付いた時には既成事実化していたというのが話のあらすじです。 何年も前にひそかに企て(同業者や愛好家が)この状況にどう対応していいやら分からない時点で作出した人工交配種を大量に市場に持ち込み、「これから、このルールでやっていく!」と言わんばかりでしたから、たまりません! 業者や愛好家の中には、「時代に乗り遅れてはいけない!」というのでパニックに近い状態で人工交配苗を買い集めた方が多数いらっしゃいました。 (※古典(伝統園芸)の世界で「時代に乗り遅れる」という感覚も変ですが・・・) 事前に「わたくし○○は伝統園芸の日本寒蘭に、近代園芸の手法である人工交配を持ち込もうとしているのですが、了承していただけますか?」「これによって作出した品種はどういう扱いのものですか?」といったように、業会に伺いを立て審議の対象とすべき性格のものだったと今更ながらに思います。 人工交配は手当たり次第に行っている方もいますが、作出動機からして、その時期に流行っているタイプを作りたがる。 これはわかり易く、寒蘭愛好家の皆さんもすでに経験しているので思い返すことができると思います――。 タイムラグがあるため、数年〜10年後くらいに、そのタイプのものが大量に出てくる傾向があって、一時期に流行った「桔梗咲きの肉厚弁の更紗、〈島の宮産〉のものを使い、かけ合わせたもの」「長崎県の白西平の名花〈日本一〉の系統を使ったもの」などがその例です。 既に始まっていますが次期、大量に出現するのが「〈払越し産〉の肉厚タイプ」を使ったものですよね! ――寒蘭愛好家はヒヤヒヤしています。これは時限爆弾のようなものです! 人工交配を行っている人たちの間での話し合いもなく、生産調整も出荷調整もしない。 過剰生産は(似かよった品種の)大量のデッドストック(不良在庫)を生む。 私たちの憧れの品種を「ありふれたモノ」にして、そのブームは去る! 「恩恵を受けたブームを自らが潰す」少なくとも今までは、こういったことを繰返してきました。 振り回されるだけの一般(人工交配をしない)寒蘭愛好家さんのことは置き去りにしています。 こんな事に、私たちはバカバカしくも「お付き合いしなければならないのか!」という話しです。 私たちが、品種改良寒蘭と、あらゆるものが移ろいやすい今の時代、「流されない事」に価値を見いだすことのできる伝統園芸・日本寒蘭を、たとえ意識の中でも、別物として分けることができたとしたら、少しでも翻弄されずにいられるのではないでしょうか? 「伝統園芸(古典)の日本寒蘭と、品種改良寒蘭を分離する」と言われると、とても大げさに感じるかもしれませんが、上に述べたように私たちの意識の中で、別物として分けることから始まることです。 (※もちろん、展示も会場も、業界をも分けるのが理想ですが、今の段階でそれはできないでしょう。) つまり、ご自身が大切に育てていらっしゃる自然種の素朴な花のとなりに「どうだ!」と言わんばかりに品種改良された〈きらびやかな花〉を並べてこられても、気後れすることはありません。 私たちこそ正統派です。「これは自然種ですよ!」と胸を張って言ってやればいいのです。 自然種は歴史と伝統に結びついている由緒正しいものです。これほどの強みはないのですから。 それから、「自然種は良いけど、新品種が出なくてつまらないのではないか?」 と思われる方は確かにいらっしゃいます。 この事について、私なりにお答えしたいと思います。 日本寒蘭には長い歴史があり懐の深いものです。 全国(各自生地)で、(最近の訳の分からないものを除外して自然種だけの話をしますが)登録されたものだけでも3,000品種超、重複したものや絶種したものがありますから、それを差し引いて少なく見積もって1,500品種、これに無銘の優良品種を加えると、2,000品種を越えると思われます。 寒蘭愛好家の皆さんは、これの5分の1でも把握されていますか? 専門家でもその全容どころか、半数でも知ることは困難ですが・・・ 過去の銘品や無銘品には素晴らしい品種があって再発掘、再評価することは新しい発見もあり、楽しいものです。 かつて、〈豊雪〉や〈日光〉に代表される西谷物と呼ばれる系統に焦点が当たっていた時代に、あまり価値を認められていなかった〈肇国はつくに〉など払越産の系統がその後、評価の逆転を見せたことも私たちは経験しています。 品種は焦点の当て方で違う評価を受けます。多様性に富んだ日本寒蘭ですから、色々なタイプの品種が注目され、流行も移り変わり、愛好家さんにとっても単調な風景ではありません。変化に富み刺激的です。 そして、新品種というのとは少し違いますが門外不出と言われたものや、一時絶種しかけたものなど、そのほとんどが繁殖力の弱い品種ですが、今まで一般の愛好家さんの知り得なかった有銘、無銘の隠れ名花が少なからず存在します。 その中には、現在の人工交配品種を凌駕する品種もあります。無論それには不自然な状況はなく、古い会誌に写真や記事として掲載されているなど複数の痕跡を残すものです。 ――これらの品種については、実際に紹介して証明する機会を持ちたいと思います。 日本寒蘭、今どうして古典なのか? 人工交配推進派の人達は、「これからは交配の時代になる! 」と力説していますが・・・ 私は「伝統園芸・日本寒蘭」の応援を述べたいと思います。 私たちは胡蝶蘭でもカトレアでもない日本寒蘭に、いったい何をさせようとしているのでしょう? 従来の自然種だけで充分すぎる程の種類とバリエーションを有しているのですよ! 一般的な花卉園芸とは違い、自然種の地域性や多様性を感じられることも寒蘭趣味の味わい深さだと思えるものを・・・。 趣味の世界は、奥深さを経験できるものであって欲しいと思います。決して、創られたファンタジーに堂々巡りをさせられて終わるのは望ましくありません。 競争原理が働いていると言えるのかもしれませんが、無秩序に種間交雑まで行うなど、各自が利益に向かって暴走する品種改良寒蘭と、歴史や伝統に裏打ちされた古典(伝統園芸)である日本寒蘭とでは、どちらの格式が高いでしょう? これは、私が述べるまでもない。 日本寒蘭が園芸文化としても、大きく成長していた頃、自生地ではない関東、関西圏などでも広く紹介され、それまで寒蘭を知らなかった人たちにも「こんなにも素晴らしい蘭科植物が日本の国土に自生していた事実」「そして、それが日本の伝統文化と結びついていたことについて」驚きをもって賞賛されました。 昭和50年代、東京の三越デパート本店で展示され、本物志向の人々の心を射止めた由緒正しい日本寒蘭は自然、芸術、文化に造詣の深い人たちの鑑賞に堪え得るものでした。趣味の良い見せ方、仕立て方、そして何より自然種が前提だった。 その時代と比べ、今の寒蘭業界は、文化という面でも、はるかに後退したように思えます。 それから、私は今まで一度も日本寒蘭に対し「詫び、寂び」と表現したことがありません。それは、「詫び、寂び」には似てはいるけど、ニュアンスの違った感覚を抱いているからです。少し華やかで、ちょっと近代的であり。そして、崇高と素朴を同時に持っているように思えてならないのです。 都会の雑踏にも汚れない――そんな感じがするのです。 自然種が前提です・・・都会に住む人にも自然との接点をもつことができる。人の心を癒し得る・・・自然種ゆえに・・・かつて、東京の三越デパート本店で展示された日本寒蘭は多くの人々の感性に触れたのだと思います。 もう一度言います。「日本寒蘭のテーマは、日本の自然と伝統文化です」 2017年5月19日 1ページ「伝統園芸の価値観は古くて新しい?」の記事に戻る! 2ページ「日本寒蘭・人工交配の盲点」の記事に戻る! 3ページ「伝統園芸の日本寒蘭と人工交配寒蘭を分離することの必要性」と 「自然種認定の必要性」に戻る! 4ページ「自然種認定」「伝統園芸寒蘭と人工交配寒蘭の分離」 【4ページ】 |
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