日本寒蘭 CLASSIC
   
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トップページの冒頭に「日本寒蘭はかつて・・・自生していた・・・」と書かれています。「おや? 今でも自生しているじゃないか!」と思われたことでしょう。この表現は日本寒蘭界にさしせまる重大な問題があることを示唆しています。これについては次回、詳しく述べることにしますが・・・。
世界でも稀有な園芸部門である「伝統園芸」日本寒蘭の伝統を守るにはどうしたら良いのでしょう・・・その術はあるのでしょうか? 寒蘭愛好家や寒蘭業界の方々に(常に考えている事柄でしょうけれども!)もう一度、熟考して頂きたいと思い。そしてこれから日本寒蘭を育てようと思って下さる方に本来の由緒正しい日本寒蘭を知っていただくことを目的として記したいと思います。

近年、熱心な寒蘭愛好家のお客さまたちとの間で人工交配のことが話題になります。寒蘭界に及ぼしてきた影響、それがとても深刻であること。この問題に対処し日本寒蘭を伝統園芸としていかに次の世代に引き継ぐのか、それが主な内容です・・・。


伝統園芸の価値観は古くて新しい?

現在、自然保護の考え方が本質に近づいてきたように思われます。
「緑を植えれば自然保護」「野生動物を餌付けして繁殖させれば自然保護」というものから、植林するにしても本来そこに生えているものを植えなくては・・・と変わってきたのです。
今年(2017年)に入り千葉県富津市で、ニホンザルとタイワンアカゲザルの交雑種の50頭以上が殺処分されたというニュースがありました。衝撃的で可哀そうな話ですが、何でも、遺伝子攪乱が重大な問題であるということらしいのです。「自然界に存在し得ないものが生態系に生息するのは望ましくないのだなあ」と素人である私はそう解釈したのでした。
この考えに基づくと、有りのままの自然種を育て観賞し、受け継いでいく伝統園芸の価値観は前時代的な古い考え方のようにもみえますが、ひょっとしたら世界標準の新しいものかもしれないなあ・・・と改めて思いました。

加えて、日本寒蘭の古典は人工交配どころか、遺伝子操作まで当たり前になった現在だからこそ守っていきたい園芸文化だと思ったのです。

一連の考え方からすると。もし仮に「紀州産の品種」と「宮崎県の米良産の品種」を交配し高知県に蒔いたら高知県産! 同じ組み合わせを屋久島に蒔いたら屋久島産! などというのは違うと思います。
フラスコでの人工交配にしても「日向の誉」と「華神」をかけ合わせたものが自然種になるというような、間違ったデータを残すことは防がなければならないはずです。

日本寒蘭に近年まで人工交配がなされなかったのは幸運なことでした。寒蘭界が人工交配とは無縁だった頃を思い出すとき、今も人工交配が行われていなかったとしたらどんなにか良かっただろうと思わずにはいられません。

人工交配がなされていなかった時代の記憶をたどることにしましょう・・・三十数年も昔のことですがはっきり覚えています・・・私は蘭華園の二代目です。当時、私は若く(二十代前半でしたものね!)プロというよりは見習いで父の足を引っ張っていましたが、この仕事が楽しくてとても熱心でしたので、その時代の空気感まで思い出すことができます・・・。
当時、日本寒蘭に人工交配が普及しなかった理由は、いくつかあると思います。
「人工交配が、単に難しかったから(当時はフラスコで寒蘭の苗を発芽させるなどできないと思われていた)」「人工交配の思いつきがなかったから」などの理由が考えられますが。
何より、これだけは言えます。昔から私たちは思っていました。私たち寒蘭愛好家は――
名花そのものや、それを発掘、選出したかつての愛蘭家の情熱や想いを尊重していました。自然の采配によるもので、触れてはならない領域であると感じていたのも事実です。――この思いは寒蘭愛好家の大多数を占めていました。自主規制が働いていたのです。

「自然種は、その生まれに誰の欲望も関与していません」この事は自然種を評価する最大の理由です。
そして私が三十数年も日本寒蘭の収集意欲を持ち続けてこられたのは、それが自然種であるが故のことなのです。

人工交配がなされていなかった昔から寒蘭の山採りを育てていた方ならわかっていただけると思いますが、大きな情熱を注ぎ収集、栽培しても山採り苗に優秀な花が咲く確率は極めて低く、咲けども、咲けども普通の花! その人の寒蘭キャリアのなかで一度でも名花の誕生を見たら運が良かったと言われていたほどです。

私は業者として長年、各展示会場をめぐり、たくさんの寒蘭愛好家さんを訪ねコレクションを見せていただきました。新品種の発掘というのは、より多くの個体を見ることが結果に反映されるのです。その当時、私ほど多くの無銘の花を見た者はいないと思いますよ。だから言います。自然種で特別なものはそう簡単に出現するものではありません!

自然界において、よくぞ存在し得た奇跡の確率に敬意を覚えます。「豊雪」をはじめ「酔玉」、白西平の名花「日本一」などの出現はまさに奇跡だったのですよ!
奇跡を目の当たりにして寒蘭愛好家は驚き、寒蘭ブームの強力な原動力になりました。

自らは無欲で孤高の存在であると同時に魔性の魅力?で多くの人々を翻弄してきたのです。なんとも不思議な存在でしょう。(天使なのに小悪魔ちゃん)
このような素晴らしい名花たちが、その名花たちを使用して狙って交配した、奇跡でも何でもない「人工交配品種」の量産によって駆逐されたり、区別がつかなくなってしまったりするのは残念で、とうてい見過ごせません。

深い精神性までをも感じさせる。自然種である名花たちを・・・本当の意味で価値のあるものを、見失ってはならないと思います。

                                    2017年 4月25日





※私はこのメッセージを、絶望的なものにするつもりはありません。
一つだけ策があります! この対策しかないと思っているのですけど・・・次のページ以降にもう少し問題を掘り下げながら徐々に述べたいと思います。


1ページ「伝統園芸の価値観は古くて新しい?」
2ページ「日本寒蘭・人工交配の盲点」


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