2007年4月の暮らし
4月30日(月)晴れ おからと米粉のケーキ
昨日、アップするのを忘れていたケーキ。
一見するとチョコレートケーキだが、しっとりもっちりなんとも言えない食感のおからのケーキだ。
昨日はたんぽぽコーヒー、今日はオーガニックコーヒーでいただいたけど、どちらともよく合っていておいしい。
マクロビオティックの「あんしんケーキ教室」にはもうすでに申し込みもきていて、大人気教室になりそうな予感。
アトピーの子どもがとても増えていることと、関係があるのかも知れない。
今日はようやくスイカを植えた。例年通り、大玉と小玉の赤を植えた。
どうも私は、黄色いスイカや真っ黒いスイカは好きになれない。
ナスやピーマンやとうもろこしはすでにポレポレが植えていたので、5月のGWにはかぼちゃを植えようと思う。
4月29日(日)晴れ 麻乃さんのオーガニックごはん
昨日は参観日と歓送迎会で、夜も宴会だった。
土曜日の「スローカフェ」を今日にして、麻乃さんに来ていただいてマクロビオティックのごはんとケーキ、クッキー、たんぽぽコーヒーをごちそうになった。
朝からお天気もよく、幸せいっぱいの一日だった。
お客さまを待つ食卓。今日はどんに料理が並ぶのでしょう?
麻乃さん、ありがとう!! 本当においしかったです♪
メニューは、「凍厚揚げフライのみそめんかけ」「長芋の梅酢浸け」「蒸人参のゴマ和え」「ごぼうの梅煮」。
それに古代米ごはんのおにぎりを2個つけて、「縄文ごはん」の出来上がり。
蒸人参のゴマ和えを、きれいにバラの花形に飾り付け、盛り付けもお味もとっても満足した。
これにお味噌汁がつきます。すごいボリュームでしょ!
お腹がいっぱいになって、心から幸せな気分でおしゃべりを楽しみ、3時に麻乃さんの手作りのおからと米粉のケーキと、おからのクッキー、たんぽぽコーヒーをごちそうになった。
ちょうど高知市から初めて来てくださったRさんご夫妻も加わり、初対面とは思えない6人の話題が尽きなかった。
麻乃さん、朝から大奮闘で疲れただろうな〜。
次回は1人にだけ負担がかからない「持ち寄りカフェ」にして、「着物で大集合」にしましょうね。
おからクッキー、目が押し麦なのがかわいい♪
4月21日(土)晴れ 一閑張り教室
午後から講師の須賀先生をお迎えして、「一閑張り教室」があった。
毎回、2時間があっという間に過ぎる。
みんな夢中で、世間話も出ない。
終わってほっとして、スローカフェタイム。これが楽しい♪
互いの作品を鑑賞しながら、意見も出し合う。
みんな密かに「自分の作品が一番」と思っているのかも知れない(笑)
ものを創るという行為は、「愛」そのものだからだ。だから癒される。楽しい。
今日は「ほたる工房」のAさんも、初めて来てくださった。
やっぱり先日出会ったナニワイバラの奥様が、「ほたる工房」主宰のAさんだったのだ!!
思った通り、ぜったいそうだと確信していた。
今朝の電話で、お互いに不思議な出会いを喜び、さっそく3時に訪ねて来てくださった。
「こんな近くにステキな人たちが住んでいたなんて、ちっとも知らなかった。自分が理想としている暮らしで、光が差し込んだような気持ちです」
と言ってくださったが、それは私も同じこと。
近くに住んでいても、知らないことがいっぱいある。
高知県ボランティアNPOセンターが発行した冊子が、つないでくれたわけだ。
探していたボランティア団体の「ほたる工房」だとは知らず、庭がとっても気になって突然飛び込んだのだったが、今日また「ターシャ・テューダーが好き」と聞いて「私も!」と喜び、やっぱり偶然ではなかったのだと思った。
うちの小麦で焼いたケーキ、近くの苺ハウスから100円で買って来て作ったジャム、一閑張り教室のお母さんたちのお土産のよもぎ餅・・・とっても楽しいスローカフェタイムになりました♪
飾っているのはいただいたナニワイバラ
4月17日(火)晴れ ナニワイバラ
2時限目の3年生の授業は、野外を散策して「俳句を作ろう」だった。
最高に気持ちがいい天気! 四万十川を眺め、季節の花々が咲き乱れる道を歩いててたら、ナニワイバラが咲いていた。
濃い緑の葉に、真っ白い清楚な花びら。私の大好きなバラだ。
先日、地域を新任の挨拶で歩いた時、とても気になっていたお宅だ。
広い庭に流木を使って小道を作り、ハーブやバラ、ローリエなど所狭しと植えている。
ええい、思い切って声をかけてみようかなぁ。「ごめんくださーーい!」
生徒たちはびっくりして、焦っている子や笑いをこらえている子も。
とても感じのいい奥様が顔を出して、私が挨拶すると「まあ、うれしい。お金をかけないで手作りしてるんですよ」と喜んでくださった。
ナニワイバラを少し欲しいと言うと、すぐにシャベルを持って来て小さな株を掘り取り、ポットに移してくださった。
そして、生徒たちにも大きな鉢植えのモッコウバラをくださって、かなり重いその鉢をうんうんがんばって学校に運んだ。
もちろん1人3句ずつ俳句はちゃんとつくりましたとも!
実はその奥様は、初対面の私に子どもさんのことを話してくださった。
それを聞いて私は、電流が走ったような気がしたのだ。
またしても「出会いの不思議」だ。偶然ではない。必然の出会い。
「また必ずゆっくりとお邪魔します。実は私は5年前から・・・」とかいつまんで活動していることを話すと、今度は奥様のほうが目が点になった。
それだけでも不思議な出会いなのに、もっと驚いたことが帰宅してから分かった。
今月から赴任したその地域で、私は「ほたる工房」というボランティア団体を探していた。
私たちの自立支援の会と同じく県のボランティア団体登録冊子に紹介されていたので、せっかく地域に勤務させてもらうことになったので訪ねてみたかった。
でも、職場で「どこにありますか?」と尋ねても、誰も知らなかったのだ。
帰宅してふと気になって冊子で代表者の名前を確認したら、名字が同じ!!
もしかして? いや、絶対同一人物だわ!
私が探していたボランティア団体は、あの気になっていたお宅、代表者があのナニワイバラの奥様に違いない。
確認していないのに、妙に自信がある。こんなカンは間違いなく当たる。
お礼のハーブ苗を持って、近々ゆっくりとお邪魔しよう!
4月15日(日)晴れ 桜まつり
年に1度、土佐清水市うすばえの桜公園に呼んでいただいて出かけている。
うすばえは土佐清水市から足摺半島に車を走らせ、唐人駄場のすぐ下にある。
ここは日本で1か所だけ、黒潮が接岸する地だ。
ここの「桜まつり」に参加するようになって、もう4回目かな。
毎年会う顔ぶれと再会を喜び、新しい出会いも楽しみにしている。
今日は流木マスターとママも高知市から来ていて、めちゃめちゃおいしい「みませの干物」も七輪で焼いてもらって食べた。
マスターは紙芝居もするし、チェーンソーアートもやるし、干物屋さんもやる。何でも来いだ。
ママはせっせとジュートを編み、私がしゃべっている間にも着々とバッグが出来ていく。
これからの季節にぴったりなママのバックを、うちでも展示させてもらうことにした。
プロの大道芸人のまーさんも来ていて、出演のあと一緒に干物を食べた。
芸も人柄も、とても魅力的な人だった。
りわこさん、ひろみさん、あやこさん、ちえこさん、たえこさん・・・土佐清水市のみなさんと会えて、いっぱい元気をもらってきた。
やっぱり人と一緒に楽しい時間を過ごすのが、人生の醍醐味だなぁ。
実は「桜まつり」のあと、流木マスターとママ、ポレポレと私の4人であるお宅を訪問。
そちらも実はすごい貴重な体験で、充実した一日になったのでした。おしまい。
4月14日(土)晴れ 裂き織り教室
久しぶりの「裂き織り教室」があった。
新しい人も加わって、これからの計画をいろいろ話し合って楽しかった。
集まってくるのは不思議と同じように「ものづくりが好きな人」「自然が好きな人」が多いので、話題は尽きない。
あっという間に2時間が過ぎる。
「やっぱり1日かけて、お昼ご飯もみんなで食べてやりたいねー」という話になった。
それがいい。野山に出て摘んできた野草を天ぷらにしたり、玄米菜食をみんなで作ってもいい。
ゆったりと「食べること創ること」を楽しみ、作品展もみんなでしようと約束した。
4月7日(土)晴れ 麻乃さんの蒸しケーキ
麻乃さんが訪ねて来てくださった。
ステキなかごに手作りの「抹茶と小豆の蒸しケーキ」を入れて、和の風呂敷に包んで玄関に立った麻乃さんは、ブログの印象のままの大和撫子だ。
ブログを見るたびにうっとりしていたマクロのケーキ、さっそくいただいたけどしみじみおいしくて幸せになった。
麻乃さんが高知に帰って来てくれて、これから楽しいことがいっぱい広がる予感がする。
抹茶と小豆の蒸しケーキ
4月2日(月)晴れ お米が甘い
田んぼの季節になった。
苗代のビニールの中が、日に日に緑になっていくのが分かる。
種籾を水に浸けて、発芽したものを田んぼに並べ、苗の成長を待っているところだ。
その間にポレポレは田んぼをたたき(耕すこと)、水を張る。
豊かに水をたたえた田んぼの水面に、山の新緑やつつじの色が映る景色は、日本人の原風景のような気がする。
「はーと・らいふ村のお米は甘い」、よく聞かされる。
すっかり玄米食になった私たちも、「冷めてからたべると、よけ甘い気がするねー」と話している。
噛めば噛むほど甘くておいしい。自画自賛になってこっけいだと分かっていても、ご飯の度に「おいしい、おいしい」とつい言葉にしている。
先日ポレポレが図書館から、片岡鶴太郎さんの本を借りてきて「読んで」と差し出した。
鶴太郎さんも玄米を食べているそうで、「ビタミンやミネラルが豊富で、血圧が高い人は下がって、低い人は上がるんです。」と書いていた。
へぇ、そうなんだー。栄養分が胚芽につまっていることは知っていたが、血圧との関係は初耳だ。しめしめ♪
ベランダにも春の陽光
4月1日(日)晴れ フエさんの押し花
午後からフエさんが来て、庭の花をたくさん押して帰った。
かずき大根、からし菜、ペリウィンクル、花ずおう、木蓮・・・、何よりも喜んだのがアケビの花だった。
ちょうどかわいいピンクがかった小さな花をつけていて、フエさん好みだなぁと思って声をかけたのだったが、みごと当たり!
アケビのつるは見たことがあるが、花は初めてだったのだそうだ。
フエさんの額入りの押し花作品は見たことがあったが、押しているところは初めて見た。
木蓮などの大きな花は半分に切って、手際よく和紙に並べていく。
3日ほど重しして、さらにまた乾燥して、いろいろなデザインの作品が完成するまでには、たくさんの時間と根気がいる。
5月からスタートするフエさんの「押し花教室」。あなたもチャレンジしませんか?
うちのリビングの床で、摘んだ花を一つずつ押していくフエさん。
2007年3月の暮らし
3月31日(土)くもり 麦の穂が出た
急激に春になった。
山はつつじのピンクや朱、椿、桜、新芽の黄緑に彩られた。
庭にもいろいろな花が咲いている。
水仙はほぼ終わったが、かわりに木蓮、花ずおう、ゆすら梅、二輪草、桃の花、あんずの花、大根の花、ペリウィンクル、垣根のローズマリー・・・などなど。
麦の穂も出た。まだ緑だが、これから6月にかけて色を増していく。
桃の花
木蓮
花ずおう
ペリウィンクル
麦はこんなに伸びた。奥に見える白い花が大根。近づくと薄紫色なんだけど。
3月24日(土)雨 ルワンダの風
愛南町げんき市で出会った方が、偶然うちで一緒になったという奇遇の日。
1人はポレポレと同じく青年海外協力隊でルワンダに行っていた看護士さん。
今もcomeraというボランティア団体を組織して、教育支援や自立支援活動を行っている活動家だ。
「はーと・らいふ村」のチラシを見て、「ぜひ訪問したい」と来てくださった。
いっぱい共通の話題があって、とても楽しいひとときだった。
さっそくご自身のブログでも紹介してくださって、ありがとうございます♪
写真もとてもお上手なので、よかったらみなさんもぜひ「ルワンダの風」をのぞいてみたくださいね。
http://blogs.yahoo.co.jp/komera2006/
もう1人は今日電話が来て、「スカーフを買わせていただいた者ですが、気に入ったのでもっと見たくて・・・」と雨の中訪ねて来てくださった。
うちで顔を合わせたお二人が、「あらっー」。
なんとお知り合いだったのだ。これだから楽しいよね。
メイさんも寄ってくださって、別組にまた二人お客さんがあって・・・、雨の午後「はーと・らいふ村」は楽しい話題でいっぱいでした。
みなさん、ありがとうございます。
3月18日(日)晴れ 愛南町げんき市
年に数回、いろいろな市町村の催しに招いていただいて出かける。
愛媛県愛南町にも、数年前から講師で呼んでいただき、去年からは町のイベントにも参加させてもらっている。
こういう市町村のイベントに出かける楽しみは、なんといっても人との出会いだ。
愛南町はボランティア活動がとても熱心な地域のようで、子どもから高齢者まで多くの人たちが協力しあってよく動き、毎年元気をもらって帰宅する。
特に中心になって準備されているみなさんは、ブースの手配から看板、チラシ、連絡、時々声をかけてくださったり・・・、もう本当によくやっていて感動する。
私たちも主催するイベントがあるが、あんなに心遣いが出来ているだろうかと学ぶことがとても多い。
昼食もカレーやうどんをごちそうになり、途中でコーヒーも差し入れしてくださったり・・・、本当に行き届いている。
今日は天気はよかったが、風が吹いて気温はけっこう低かった。
帰りに前から気になっていた「あけぼの温泉」に寄って、ぽかぽか暖まって帰宅した。
入浴代は400円。サウナや打たせ湯もあり、ピーリング化粧品もセットで置いてくれている。
場所は宿毛市から愛南町に入り、国道56号線を走っていたら左手に大きな看板が出ているので、すぐ分かります。
3月17日(土)晴れ 最高の誉め言葉
去年まで勤めていた中学校の卒業生たちが、村に遊びに来た。
お母さんからと言って、「天日塩」をお土産にいただく。特産のお塩だ。
薪ストーブに反応し、「うわ、ロハスや」「薪割りしたい!」。
うちの小麦で作ったカントリーケーキやピザ、果ては苺の季節にたくさん作って冷凍しておいたジャムにまで反応を示して、「西の魔女が死んだ、の本みたいな暮らしやー」と言う。
「えー、あの本、読んだの? 私の愛読書よ!」と、思わず感激の声をあげた。
「西の魔女が死んだ」は児童書の類に入るかも知れないが、大人が読んでも感動する小説だ。
何度読んでも、涙がとめどなく流れる。心を洗われる一冊だ。
うちの暮らしに「西の魔女が死んだ」を重ねてくれるなんて、それって最高の誉め言葉だなー♪
携帯でカシャカシャと写真をたくさん撮り、「HPに載せていいですか?」と聞くので、もちろん「いいわよー」と答えた。
「また来ていい?」「もちろん!」
「次は3泊4日くらいな日程で、蛍の頃来ます!」と元気に夕方の電車で帰っていった。
10代の頃、私は「ロハス」なんて言葉も知らなかった。
若い頃は都会にあこがれるのかと思ったら、けっこうこんな暮らしにも興味を示してくれて、意外や意外?
3月15日(木)雨 軸足
今日は私が去年3月まで勤めていた中学校の、卒業式に出席した。
あいにく冷たい雨が降り、体育館はとても寒かった。
丸1年ぶりに見る彼らは、こんなに伸びるのかと思うほどにょっきり大きくなった子もいれば、ほとんど変わっていない子もいた。
退場する子たちを通路に立って見送り、一人一人と握手し、女子とは抱き合った。
まさか、来ているとは思ってなかったのだろう。
退路の途中から気が付き、「せんせーー」と小走りになり泣きながら抱きついてくる子たちを、「おめでとう!」と抱きとめた。
深くかかわった子の親も、姿を見つけてかけよって礼を言ってくれたりした。
仕事を抜け出してかけつけたのだが、行ってよかったと満足した。
自分の軸足をずらしてはならないことを、改めて教えられたと思う。
この1年、行政の仕事もやりたいことがやれたが、教職とは比べようも無い。
「はーと・らいふ村」の暮らしも、ボランティア活動も、さまざまな教室もそれぞれ夢中になれるけれど、私にとって中学校の教師という仕事は特別なものだ。
明日もまた、母校の卒業式に出席する。
こちらは母校の卒業式
3月14日(水)晴れ ホワイトデー
ホワイトデーの今夜は大変だった。
早朝、中3の女の子から電話があって、「今夜、シフォンケーキ習いに行っていい?
バレンタインデーに友チョコもらっていたのに、ホワイトデーのことすっかり忘れていて・・・」
「いいよ」と快諾したはいいが、なんとお返し18人分だって!!
21センチのシフォン型で2ホールは焼かなきゃ、でもうちは型が1つしかないのよね・・・。
おまけにシフォンケーキは、冷ます時間も必要だ。
ひえー、焼き上げて冷まして、型を洗ってまたもう一度同じように焼くことに・・・。
で、6時過ぎに来て、帰ったのが10時過ぎ。
目いっぱいスピーディに、2ホール焼いた。
明日は卒業式にも出席なので、早めにお風呂にも入ってという予定も大幅に変更。
片付けて、お風呂に入って寝たのが12時近かった。
でも、その子すごくケーキの出来には満足して、「チョーおいしい!!」と言ってくれた。
大きな荷物で「ありがとう!」と帰っていったが、あれを学校に持って行くのは、並大抵ではなかっただろうなぁ。
3月10日(土)晴れ 先客
ベランダの柱に、毎年巣箱をかける。
ヤマガラ用の巣箱だ。
去年もおととしも、ヤマガラが巣を作り、ヒナたちが無事飛び立って行った。
あとで取り出したヤマガラの巣は、モクやハナの毛や緑のコケを使ったふかふかのベッドで、芸術品ともいえるそれに感動したものだ。
ヤマガラの深い愛情は、それだけではない。
せっせとエサを運んでいても、ヒナたちがそろそろ自立の時期が来たと判断すると、巣箱の前のエゴノキの枝にとまって、エサを見せながら飛び立つことを促すのだ。
首を出してはひっこめて、巣立ちをためらっていたヒナたちも、エサがもらえないから勇気をふりしぼって1羽また1羽とエゴノキに飛び移っていく。
そして、母ヤマガラに導かれるように、大空へ飛び立つのだ。
10日ほど前、朝食を食べていたポレポレが、「あ、ヤマガラが来てる!」とカーテンの隙間からのぞいた。
確かに「ジージー」とヤマガラの鳴き声がしている。
今年も巣作りの季節なんだわと、楽しくなっていた。
少しして、ポレポレが巣箱をはずして、中の巣を全部取り出しているではないか?
「スズメが巣を作っていて、ヤマガラが逃げた」と言う。
今度こそと思って見ていたら、またスズメが巣を作ったようで・・・、ポレポレがまた巣を出していた。
2度あることは3度ある。またまたスズメが巣を作り、見ているとヤマガラを追っ払っている。
うちには野鳥が37種類ほど来ているが、数ではスズメが一番で、先客の強みもあり、ヤマガラはどうやら今年はあきらめたらしい。
別にスズメが嫌いなわけではないが、彼女たちは屋根裏部屋の換気口のところに毎年巣を作っていて、麦やら米やらせっせと運んでいるのだ。
ヤマガラ用の巣箱まで占領しなくても・・・と思ってしまう。
「来年は巣箱の口を、もう少し小さくしてみるか」と、ポレポレが対策を考えている。
こちらはパーゴラのところの巣箱。赤い実はブラックベリー。
3月6日(火)晴れ 藍の種
今日は啓蟄。
土の中の虫たちも、むずむずと動き出す頃だ。(でも今年はもっと早くから動いていたと思うけど。)
毎年、啓蟄になると、「そろそろ種蒔きだなー」と思う。
今日は女子大の研究室から、藍の種も届いた。
去年、馬荷小学校で「草木染め体験教室」をした時、参加していた人たちから「藍染めもやってみたい。藍も育ててみたい」という声が出た。
うれしいことだ。
「じゃあ、次は藍を育てて、愛染めしましょう」と約束していたので、さっそく種蒔きだ。
藍染めは中学校でもやったし、カルチャー教室でも何度も染めたけど、「種から育ててみたい」と言い出したのは、今回が初めて。
空いている畑で育てて、夏には「藍の生葉染め」をしてみたいと思っている。
今年は、それ以外にもいっぱい教室がある。
地元の紙バンド屋さんを訪ねて始まった「紙バンドクラフト教室」。
去年から「やろうねー」と楽しみにしていた「満月のヨーガ教室」。
全部で20教室も企画してしまった!!
わくわく楽しみで仕方ない。
これは藍の花。タデとそっくりでしょ?
3月3日(土)晴れ ルッコラのちらし寿司
桃の節句。
今年も7段飾りのお雛さまは出す暇がなく、玄関にだけ2組飾った。
庭には桃の花はまだ咲いていないが、梅の花が満開だ。
チンゲンサイ、からし菜、ルッコラも花が咲いた。
大根の花もつぼみができている。
明日は長老の誕生日なのだが、高知市で1日中会がある。
「前夜祭をしよう」と、黄色いチンゲンサイの花と白いルッコラの花を摘んで、長老の好きな「ちらし寿司」を作った。
お花のちらし寿司はよく作る。
見た目も季節感がいっぱいだし、食べてもおいしくて大人気だ。
「スミレのちらし寿司」もおしゃれだが、明るい黄色の菜の花が春らしいし、ルッコラはゴマの香りがするので、両方彩りよくちらしてみた。
写真はレトロなお雛さま。たぶん大正末期か昭和初期のものですね。
2007年2月の暮らし
2月28日(水)晴れ 田んぼの準備
2月も今日で終わり。はや3月になる。
夕方、車庫に車を入れて隣の軽トラを見たら、荷台いっぱいに籾殻を積んでいる。
この前は山ほど鶏糞を積んでいた。籾殻も鶏糞も、田んぼにまく有機肥料だ。
ほかにも米糠をたっぷり入れる。
化学肥料と農薬で作るお米と違って、完全に無農薬有機栽培だからなかなか大変だ。
ポレポレは毎日着々と田んぼの準備をしているんだと思うと、仕事の疲れもふっとんだ。
おいしいものでも作ろうと、急いで勝手口から「ただいまー!」と叫んだ。
そのポレポレが、「寒い季節に暖かいなんて、なんだか不安じゃない? お米だいじょうぶやろうか・・・」と、テレビを見ながらつぶやいた。
テレビでは毎日のように、異常気象を伝えるニュースが流れる。
私が無農薬有機の米作りを決心した1993年も、異常気象の年だった。
その年、田植えを直前にして父が車にはねられ、意識不明のまま救急車で運ばれた。
幸い命に別状は無かったものの、ベッドから起き上がることすらできない。
米作りが突然私にふりかかってきた。
あの年ほど自分のこととして取り組んだことは無かったので、冷夏を身にしみて記憶している。
お米が不足し、家には見知らぬ人まで買い求めに来た。
急きょタイ米を輸入し、セットで売られたりした。
セットで買ってタイ米だけを捨てた主婦の記事を読んでショックを受け、自分は生産する側に身をおこう・・・と強く思った。
冷夏ではなく猛暑でも、やはりお米にはこたえるだろうとポレポレは案じている。
今年はどんな夏になるだろうか?
早くも山にはつつじが咲いた
2月22日(木)晴れ 「TOS・MOC」
高知といえば「海」のイメージが強いと思うが、じつは日本一の「森林県」。
県土の80%を森が占めている。
「TOS・MOC」は、高知県が立ち上げたバーチャルギャラリー。
HP http://www.digi-mori.com/dmr/tosmoc/とパンフレットの両方で、木に関わる24団体が紹介されている。
「工房ポレポレ」もその中の一つで、「スローライフの家具」というみだしで紹介されている。
取材に来たのは若い方だったが、さすがプロ。ポレポレの特徴を、みごとにまとめていると思う。
読んだ友人たちからコメントが届いているが、「取材した人がすばらしい」「目からうろこだった」・・・などなど好評だ。
さっそく出産祝い用の「木のおもちゃセット」のご注文をいただいた。
なめても安心の天然木のおもちゃと積み木のセット。
すがすがしい桧の香りが、赤ちゃんの感性を育てるにちがいない。
収納付きベンチ
2月21日(水)晴れ ミモザが花開いた
2月だというのに、季節感は4月上旬の感じ。
暖かいというよりも暑く、「そろそろ田植え」の頃の陽気だ。
トップページの写真にも載せたが、夕方帰宅したらミモザがいっぺんに花開いていた。
毎年、春を告げる黄色い花で、たわわに咲く。
花と言えば・・・ミモザばかりではない。
桜もつつじも椿もコスモスもひまわりも・・・咲いている!
いったいどうなっているんだろう?
ポレポレが「今年は苗の成長も早そうだから、田植えが早くなるかも知れない」と言う。
コシヒカリの籾を60℃のお湯で5分間消毒し、浸水している。
いよいよ今年もお米作りがスタートだ。
2007年1月の暮らし
1月26日(金)晴れ ターペー門広場で、ラジオ体操
チェンマイからバンコクへ移動する日も、朝5時から托鉢のおぼうさんを探した。
フロントで「どこが多い?」と聞くと、「ターペー門のあたり」と教えてくれた。
ポレポレは「托鉢」という英語が浮かばず、苦労して伝えていた。
今朝は「ソンテオ」と呼ばれる乗り合いタクシーみたいな赤い車に乗った。
まだ暗いターペー門には、ジョギングをしている人、怪しげな集団、ラジオ体操をしている集団がいた。
お坊さんの姿は1人も見えない。
仕方なく私はラジオ体操の集団に混じって、タイ風ラジオ体操第一をすることにした。
ラジカセで音楽を流し、指導者らしきおばさんが1人前に立っていて、残り全員がおばさんと向かい合って体操をしている。
日本のラジオ体操とは、音楽も動きもぜんぜん違っていて、踊っているみたい。
続いてラジオ体操第二は、太極拳みたいな感じになった。
それも見よう見まねで参加する。
写真を撮ったが、暗くてよく写らない。まあ、暗いことを幸いに恥ずかしくなく参加できるのだが・・・。
どうもターペー門あたりにお坊さんが多いという情報は、あてにならないようだ。
ポレポレと歩いてホテルに帰ることにした。
帰り道で出会えれば、ラッキーだ。
毎日歩いていたので、地理はすっかり身についている。
「ここが最初の日に迷ったところだよね」
「ここを行くと、ムエタイやってた通りだ」
などと、確認しながら早朝の散歩をしていると・・・いたー!!
お坊さんが托鉢している。
タイで初めてお布施をし、お坊さんか゛なにやら祈ってくれた。
また歩くと、今度は幼いお坊さん。
だいたい1人か2人、多くても3人くらいで托鉢に回っている。
またお布施をして、お祈りしてもらった。
腕に抱いているふたつきの容器の中を、すかさず覗き込んだらいろいろなものが入っていた。
おにぎり、サンドイッチ、缶詰・・・、私は全員のお坊さんにお金を入れた。
まだ暗いチェンマイの町で、1軒だけ主婦らしき起き抜けの姿の人が門に立って、お坊さんに渡している。
ふと見たら、お祈りしてもらう時はひざまずいてお坊さんを拝む形になっていた!
ぎゃー、私は全部突っ立ったままで祈ってもらっていた。
それからはずっと、お金を入れるとすぐひざまずいて祈りを聞いた。
結局、持ってたお金がすっからかんになるまでお布施をして、ホテルに帰って朝食を食べた。
11時の飛行機でバンコクへ移動する。
キリコがお布施したお坊さんはまだ少年だった
1月25日(木)晴れ 早朝く坊さまを探す
5時起床。
5時30分から、朝食を食べた。
なんでもあるが、やはり珍しいものに手が出る。
ポレポレはおかゆがおいしいと言って食べ、私はフルーツとヨーグルトに目を輝かす。
白い果肉に黒ゴマをふったようなのは、ジャックフルーツ。
食べたらメロンのような味がした。
食事をしながら、「さて、今日はどう過ごす?」と話題になる。
ツアーだったらありえない自由。
ポレポレはお坊さんの托鉢を見たいと言う。
タイは仏教の国で、お坊さんの地位は高い。お寺が町中のいたるところにあり、托鉢にすぐに出会えると思っていた。
ところがなかなか出会わない。ようやく見かけた2人のまだうら若いお坊さん。裸足で黙々と歩き、腕に抱いたふた付きのお椀のようなものにお金や食料などのお布施を入れている。
私が追っかけていこうとすると、ポレポレが止めた。
「明日はもっと早く、薄暗いうちに歩いてみよう。きっともう托鉢は終わったのかも知れない」
お坊さんの学校へ
私はチェンマイでは「山岳民族の自立支援」に関心があった。
それで2日目の今日は、郊外の自立支援センターに行こうと思っていた。
さすがに歩くと大変なので、乗り物を使うことにした。
タイにはいろいろな乗り物があるが、ポレポレは「できるだけゆっくり進む乗り物がいい」と言う。
もう今では少なくなった昔のタクシー、自転車の後ろに人力車をくっつけたような乗り物に決めた。
運転手さんは若い人はいない。みんなおじいさんだ。
こちらが代わって運転してあげたくなる人に運転してもらって、ターペー門をくぐりまっすぐ町はずれに向かう。
運転手の おじいさん。前の車がポレポレ。
なんだか探していたお坊さんが、やたら歩いている。中学生くらいの男の子たちで、みんな同じ袋を肩からかけている。
やはりお坊さんの学校があった。普通の中学校と併設になっており、8時からの朝礼が始まるところだった。
言葉は分からないが雰囲気は日本の朝礼と同じだ。
校長先生の話は長く、生徒はちっとも聞いていなかったり、私語ばかりしていたり、遅れてくる子がいたり。なんだかほほえましくて、子どもはどこも一緒なんだと思ってしまう。
子どもはどこも同じ。犬はタイの方が自由だった。
そのあと教室に移動して、授業を参観した。
数学の授業で因数分解をやっていた。リラックスした雰囲気だ。
宿題を忘れた男の子が、手を鞭でしばかれる。
「痛ってー!」と飛びはね、ほかの子たちが大笑いする。
私の方を向いて、「ピクチャー!」とポーズをとる子もいる。
やはり中学生はどこも変わらないなー。楽しくなった。
中学校を出てから「山岳民族支援センター」に行った。
モン族、カレン族などのさまざまな手工芸品が作られていて目を奪われたが、それ以上に印象的だったのはトイレだ。
ホテルは日本と変わらない水洗だったが、ここは便器の横に水を入れた瓶があり、ひしゃくで水を汲んで流すのだ。
蚊がいっぱい飛んでいて、ああタイの普通の家ではまだこんなトイレが多いのかも知れないなあと思ったことだった。
カントークディナーショー
その夜、カントークディナーショーを予約して、ホテルまで迎えに来てもらった。
ピックアップ料金も入れて、二人で800バーツ。安い。
チェンマイでは有名な料理で、丸いテーブルにいろいろな料理が並んで出てくる。
ご飯は銀のおひつだ。そのご飯よりも、丸い筒に入ったもち米がすごくおいしかった。
タイの民族舞踊も美しかったし、食後にコーヒーとおせんべいが出てサービス満点だった。
1月24日(水)晴れ ナイトバザール
チェンマイの夜の楽しみは、ホテルから歩いて5分くらいの通りである「ナイトバザール」だ。
ひしめきあうようにいろいろな店が並んでいて、広場ではテーブルがいくつも並びみんながにぎやかに食べている。
私たちも夕食はここにしようと、さっそくみんなが食べているものを見渡した。
鍋からおいしそうな湯気が立っているのは、トムヤム・タレー。
トムヤムクンの姉妹料理だが、海老以外の海鮮がたくさん入ったスープだ。
それから、タイ風チャーハンとも言えるカオパット。名前は知らないけど、ごはんの上にシーフードがいっぱい乗った料理の3品をまずは注文した。
トムヤム・タレーは2人前とは思えないほどの量で、シーフードがいっぱい! おいしいけど・・・辛い!
ムール貝も10個ほど入っていて驚いた
汗をたらたら流して食べたあと、フルーツをその場でジュースにしてくれる店があって、いちごやメロン、名前も知らないフルーツなどをミキサーでガーと混ぜて、大きなカップで飲んだ。
これでたった20B(バーツ。日本円にすると60円くらい)
信じられないほど安くて、おいしい。
タイには日本では見かけないフルーツがいっぱいあって、このジュースにもジャックフルーツや、ワイン色のピーマンみたいなのとか、さまざまなフルーツが使われていた。
満腹したあとはショッピング。
少数民族の人たちのハンドメイドのTシャツ、シルバーアクセサリーを買う。
チェンマイは雑貨の宝庫だ。
ナイトバザールは毎夜くりひろげられるお祭りみたいな雰囲気で、12時過ぎまでにぎやかだった。
生フルーツ100%のジュース
1月23日(火)晴れ 「微笑みの国」へ
11時まで会に出席。それからリュック一つを背中にタイへ出発。
ポレポレは毎年この時期に、海外に出かける。
去年は21日にインドに向かったが、今年はネパールへ行くと聞いていた。
「私もタイに行きたいな」「じゃあバンコクで合流するか」そんな会話からのスタートだった。
チケットをとろうとしたが、カトマンズは治安が悪くなっていてとれず、結局ポレポレも私に付き合ってくれて3度目のタイ訪問となった。
神戸で両親やポレポレと合流して、御影のおいしいフランス料理店「ジュエンヌ」で夕食。
毎回ここの料理には感動する。料理は創作だと、行く度に思う。
深夜の関空29番ゲートへ。パソコンがあちこちにあり、待ち時間ネットに向かう。
すぐに高知の友人からコメントが書かれていて、どこにいてもネットで会話できるんだなぁと感心してしまう。
1時過ぎに離陸するとすぐに機内食。こんな時間に食べていいのかと思いつつ、サンドイッチもおにぎりも全部食べてビールを飲み眠った。
6時にまた機内で朝食。オムレツと魚の2種類から選べる。食べて飲んでばかりだ。
約6時間でバンコクに着いて、乗り換えて私が行きたかったチェンマイへ。日本との時差は2時間ある。ここからは24日(水)だ。
チェンマイに行きたかったのは、去年から「うさと」を通じてタイのエイズ患者の人たちや子どもたちの自立支援に関わっているからだ。
ちゃんと自分の目で見たいと、ずっと思っていた。
飛行機から見たチェンマイの第一印象は、「緑と田畑が多いなぁ」。
ポレポレは「田植えをしている!」と細かい。ほんまかいな。
ホテルは「チェンマイプラザ」。たぶん日本だったら私たちには絶対に泊まれない五つ星のホテルで、12階の部屋からの眺めは抜群だった。
チェンマイプラザロビーでくつろぐポレポレ
チェンマイは緑が多くて花々が咲き乱れ、とても落ち着いた町だ。
まずは街を歩いて、おいしい昼食を食べようとホテルを飛び出す。
私たちはとにかく歩く、歩く。歩くといろいろなものにぶつかり、発見がある。
チェンマイは屋台がいたるところにあり、おいしそうな食材がいっぱいある。
揚げたラーメンみたいなのに、おいしそうな具をいっぱいのせて食べている店があって、まずはそこに入った。
「カオソーイ」といい、チェンマイの名物料理だ。
目の前でおばさんが作ってくれる。カレー風味のスープに、薬味がいっぱい付いてくるのがうれしい。
「カオソーイ」は日本人好みの味だ
歩いてはいろいろな物を見て、タイ古式マッサージの店に行った。
まずは疲れをとって、チェンマイでの日々を充実したものにしたい。
「サーラーチェンマイ」は1階が雑貨で、2階がマッサージ。
日本人が経営して4年目の店で、すごく癒される雰囲気。
音楽、香り、水の流れる音・・・個室に区切られたマットでのマッサージも、気持ちがよくてうっとり寝てしまった。
1時間で150Bなんて信じられない。日本円だと450円くらいだ。
二人にそれぞれチップを渡す。
日本でタイ人がやっているマッサージに行ったけど、1時間5000円だったことを思えばウソみたいな値段だ。
終わってからおいしいレモングラスティをいただきながら、感じのいいオーナーさんからいろんな情報を得たこともありがたかった。
チェンマイには日本人が3000人くらい住んでいるらしい。
年金暮らしになったらチェンマイで暮らしたいと思う人がいるのは、とてもよく分かる。
日本は物価が高すぎる。
1月21日(日)曇りのち雨 ポレポレのベンチ
先月、ご家族で「はーと・らいふ村」を訪ねてくださった高知市のYさん宅へ、ポレポレがベンチの配達に行った。
デザイン、サイズ、塗料、接着剤・・・すべてYさんのオーダーに基づいて、2週間ほどかけて創り上げたベンチだ。
私も一目見ていいなぁと思ったし、高齢者の人も工房をのぞいて「いい、いい。こんな椅子が年寄りは立ちやすい」としきりに言っていた。
(注・Yさんはお年寄りではありませんが・・・)
スピンドルもすべて手作りだし、時間がたてばたつほどあめ色になって風格が出てくる無垢の家具を、Yさん一家もきっと喜んで迎え入れてくださったと思う。
「ほんものでシンプルで時間がたつほど良くなるもの」・・・家具に限らず、衣服も器も、私たちがものを創る時の基準だ。
それはそのまま、ものを買う時の基準にもなっている。
数は少なくていい。ほんとうに好きなものに囲まれて暮らしたい。
1月19日(木)晴れ フエさんと「かずき大根」
今日、職場にフエさんが訪ねてきた。
去年「うさと展」と「気楽先生講演会」に来てくれて以来だ。
とても元気そうで、先日別府旅行に行ってたお土産を持って来てくれた。
「よかったフエさん元気そうで」と言うと、「はい、今が一番幸せです」と笑う。
去年会ったときはあまり元気じゃなくて、キムさんにも気楽先生にも気功のお世話になっただけに、今日のフエさんがニコニコとずっと笑顔だったのが本当に嬉しかった。
昼食を近くの「くじらの家」で一緒に食べて、「かずき大根」をお土産に渡してフエさんの車を見送った。
なんだかすごく気持ちがよかった。いい時間を過ごしたなぁという気がした。
フエさんとの出会いは、6年ほど前だったか私の教室に参加していた彼女が、終わってから近づいてきて「先生のお宅にお邪魔していいですか?」と話しかけてくれたことからだった。
不思議な出会いだ。
「フエさん、昨日の高知新聞見た? かずき大根が大きく出てたわよ。安芸市のほうで特産品として売り出すって」
かずき大根はもう10年ほど前に、窪川の保護者にもらった種を蒔いて、毎年うちで育てている紫色の大根だ。
煮崩れせず、それでいて口の中でとろけるようにおいしい大根で、この季節は毎日のように食べている。
もちろん来年のために花を咲かせて種を採るけど、その花がまたなんとも言えないきれいな紫色だ。
ちょうどフエさんが遊びに来て、その花を喜んで持って帰ったことがあった。
しばらくして、きれいに額装した押し花が届いた。かずき大根の花の押し花だった。
数年後、フエさんは市展で受賞するほどの押し花作家になった。
今ではあちこちで教室を開き、「おかげさまで生徒が増えています」と楽しそうだった。
キムさんと気楽先生にも嬉しい報告しなきゃ・・・と思いながら、フエさんを見送ったことだった。
かずき大根を安芸市では別の名で呼んでいることを新聞で知った
1月14日(日)晴れ チーズケーキとレジ袋
今日は友人が来るかも知れないと聞いて、チーズケーキを作った。
ビスケットを砕いてバターと混ぜ、タルト型に敷き詰める。
冷蔵庫で冷やしている間に、クリームチーズと生クリーム、砂糖、レモン汁を泡立て器で混ぜて、型の中に入れて2時間冷やす。
途中電話があって、四万十市で会うことになったので、ちょっと早いけど型から出して切り分けて持って行こうとしたら・・・まだ固まっていなくて崩れた。残念。
市販のビシッと角がついたチーズケーキって、ゼラチンかなんか入れてるのかな?
味はおいしかったので、あと一工夫必要だ。
友人には逆においしいケーキをいただいて、買い物をして帰ってきた。
レジ袋がようやく有料になりそうで、ニュースで取り上げられている。
早くなってほしいと願っていたので、うれしい。でも5円は安すぎる。
ポレポレと「1枚100円くらいになってほしいねー」「忘れなくなるもんね」と話した。
うふふ、私はもうずっと以前から、レジ袋持参派でーーす♪
1月3日(水)晴れ 初会と山芋
2日は毎年地域の「初会」がある。会場はいつも「老人いこいの家」だ。
82戸からそれぞれ1名出席する、年に1度の総会だ。
朝、区長さんから電話があって、「キリコちゃん、また今年も総会の議案を板書してくれんか」とのことで、黒板に書きに行ってきた。
去年に続いて委員に選ばれたポレポレも、いっしょに行って会場準備を手伝う。
私たちは小学校の跡地に住んでいて、校舎は無くなったが残された一部が「老人いこいの家」だ。
つまりすぐ隣というわけで、何かあればお手伝いに駆けつけやすい。
そんなわけで毎年お正月の2日目は会議があり、3日の今日は温泉に行こうと電話したら残念ながらお休み。
ポレポレは工房で初仕事。年末に注文を受けたベンチを制作していた。
お正月は3日ともどこにも出かけず、テレビで福袋に群がる買い物客を眺めながら、1円の買い物もせずに終わった。
でも、まだ食べ切れていない。年末にいろいろな物をいただいて、しばらく食べ続けるほどたくさんある。
お客さまが来ても、町に住んでいたらきっとすぐごちそうを買いに走ったと思うのだが、幸か不幸か近くに店など一軒も無い。
だから手作りの料理でもてなすしか方法が無いので、こういう暮らしになったのかも知れない。
今日は大晦日の晩に地域の人が持ってきてくれた山芋をおろして、鍋に入れて食べた。
1メートル以上ある立派なもので、添え木をして大事に届けてくれた。
折らないように細心の注意をして掘るのは、どんなに大変だったことだろう。
リビングに飾って、写真も撮ってもらって、見て楽しんだあとでごちそうも楽しむ。
お鍋に入れてもおいしかったけど、明日はおろして海苔で包んで揚げてみようと思っている。
1月1日(月)晴れ 新年おめでとうございます
2006年、「はーと・らいふ村」はおかげさまでいろいろな方に支えていただいて幸せな1年でした。心から感謝しています。
2007年は大きな夢に着手する年になります。
いっぱい希望をふくらませて、わくわくしながら取り組んでいきたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
はーと・らいふ村 一同
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元旦はいつも「歳取り」の行事からスタートする。
子どもの頃は、朝まだ暗いうちから父が川で若水を汲んできて、それで顔を洗い、お雑煮も若水で炊いていた。
「徳汲んだ、福汲んだ、幸い様を汲み込んだ」と言いながら、ひしゃくで桶に汲んだということだが、村でも最長老の父くらいしかもう体験者はいなくなったのかも知れない。
全員が床の間のある和室に集い、その年の恵方を向いて座る。
祭ってある「お正月さま」と神棚を拝み、お屠蘇を2杯いただく。
おせちの中でも必ず食べるのが、田作りと栗と干し柿で、あとは黒豆も数の子も好きなものを銘々皿に取る。
それからいつものリビングに戻って、熱々のお雑煮を食べる。
おすましに白餅と春菊とかまぼこ、豆腐、しめじなど入れた、ごく普通のお雑煮だ。
それから三社の氏神さまに初詣。
まずうちの村の氏神さまからスタートして、下の村と上の村と三社を回る。
お賽銭ではなく、「おんぶく」と言ってお米をおひねりにしたものを持っていく。
それからお墓参り。ここでもお米とお水、榊、菊の花を供えて、新年の挨拶をする。
午前中はそれでだいだい終わり、昼に年賀状が届くので、返事を書いたりしてからお客を迎える料理に取りかかる。
だいたい年末の3日間も元旦2日も、ほぼ毎日来客があるので、年末年始はまず出かけることは無い。
29日に大掃除としめ縄準備、30日にお餅つき、31日におせちの準備、元旦は初詣とお墓参りとお客さま、2日は地域の総会が午前中にあって、午後来客。
3日はちょっと遠くの初詣にでかけて、温泉にでも入ろうかと話しているが、来客があったら6日までおあずけだ。
毎年毎年、判で押したようなお決まりの年末年始だけど、同じことが繰り返されるというのは、ある意味幸せなことかも知れないと思うようになった。
穏やかで平凡なお正月を迎えられる幸せを、感じた一日だった。
歳取りの酒器はなぜか昔からふぐの形
2006年12月の暮らし
12月30日(土)快晴 お餅つき
昨日は初雪が舞い、今日はうって変わって快晴の気持ちがいい一日。
毎年、30日にはお餅つきが恒例になっていて、私の記憶にある限りはずしたことがない。
もっとも餅つき風景は大きく変わった。
子どもの頃は臼と杵でぺったんぺったんお餅つきだったが、やがて蛇口みたいなところからお餅がにゅーと出てくる機械に変わり、どんどん進化して今は蒸すのもつくのも一台ですむ餅つき器になった。
何代目かの餅つき器で、今年も朝から蒸してはつき、丸めては蒸し、6種類のお餅をもろ板に並べた。
「お鏡」と呼ぶ鏡餅、工房や納屋や蔵や離れなどいろんなところに祭る「重ね餅」、お雑煮にする白いお餅、紫色の古代米餅、人参芋を混ぜてつく芋餅。
それぞれアンコを入れたのと入れないのをついた。
昨夜からもち米はそれぞれ計って浸けておく。
アンコは薪ストーブの上で煮て、冷ましておいたのを入れる。
粉は餅とり粉ときな粉の2種類だ。
便利になったとはいえ、餅つきはやはり家族総出で協力しないとつけない。
つきあがった餅を「よいしょ」ともろ板に入れるのは力仕事だし、熱々のうちに手早く丸めるのは女の方が器用だ。
午前中で終わり、ほっと一息ついてお昼は形の悪いお餅を選んで食べた。
午後は山に行って松や竹を切ってきて、庭の南天や買ってきた花と組み合わせて飾る。
重箱にお米を入れて、真ん中に文旦を置き、松竹梅を挿して「お正月さま」と呼んで床の間に飾る。
それに干し柿や栗を飾って、元旦の朝いただくのがならわしだ。
それぞれ地域にそれぞれの風習があるのだろう。
一通りお正月を迎える準備が終わると、ほっとする。
明日はおせち作り。いよいよ2006年もあと一日になった。
みなさま、よいお年をお迎えください。
もち米のいい香りが漂う
つくと丸くなる
12月26日(火)雨 野菜に追いかけられている
秋蒔き野菜たちは、天候にも恵まれて畑いっぱいに育った。
かずき大根、キャベツ、白菜、レタス2種類、サラダ菜、春菊、ニンニク、チンゲンサイ、人参、ルッコラ・・・毎日野菜に追いかけられるように食べている。
えんどう豆にも、早くも花が咲いた。
野菜の旬は一時だ。
上記の野菜たちも微妙に旬があり、かずき大根がおいしくて食事のたびに歓声をあげる日々もあれば、今はチンゲンサイの浅漬けと、人参を生で食べるのが一番おいしい。
「キリコさんちの人参は甘い!」今年ももう何人かの人に言われた。
理由はよく分からない。ポレポレは「うちの土質が人参に合っているのだ」と言うけれど、お芋もかずき大根も・・・、私は全部おいしいと思って食べている。
ただルッコラとクレソンは、こだわりレストランのシェフに言われたことがある。
「市販のとはぜんぜん違いますよ。野生の味がする」
毎日、毎日野菜を食べても、当然食べきれない。
たぶんそのために「保存食」が考えられたんだろう。
大根は漬けたり、干したり。きんかんも甘露煮にした。
同僚にも持って行き、会う人があればもらってもらったりした。
ただし、完全無農薬有機の野菜たちは、虫食いでもかまわないという人に限る。
不思議と春菊やレタスや人参を虫が食べることはないが、チンゲンサイと白菜とキャベツはよくかじられる。
なぜ虫たちは申し合わせたようにそうなのか?
人間のように、レタス好きの虫やニンニク好きの虫がいてもよさそうなのに、一度もそういうことはない。
分からないことだらけの野菜作りだが、畑で食べごろを物色して、必要なだけ収穫してすぐ食べられるのは助かる。
そうそう、忘れてはいけないのが、焼き芋!
焼き芋のおいしさは、お菓子なんかの比ではない(・・・と思うんだけど?)。
新聞紙をぬらしてお芋を包み、アルミホイルで巻いて薪ストーブに入れる。
10分もすれば、熱々ほこほこの甘い焼き芋が出来る。この方法がきれいに焼けて一番おいしい。
論より証拠。味みてほしくて、この季節にお客さんが来たら、ぜったい一緒に食べる。
「芋たこなんきん」って、ホントやわ。
12月17日(日)晴れのちしぐれ 薪ストーブを焚く
ようやく冬型の天気になった。
この冬初めて薪ストーブを焚き、「やっぱり火を焚くというのは、いいもんだねー」と話した。
今日は来客も相次いだので、「どうぞどうぞ、火のそばへ」と薪ストーブの周りが一等席になった。
お湯もわかし、おでんやシチューも作り、剪定した木々も煮て草木染めもする。
冬は薪ストーブ中心の暮らしになる。
そして、なぜか手仕事がしたくなる。
編み物、織り物、ミシン仕事、刺繍、ポシャギ・・・、どうも夏よりも冬の季節に手仕事が似つかわしい気がする。
マイブームはやはり裂き織り。12月に裂き織りのバックを3つ縫った。
取っ手は手芸店で革と木と二種類買ってきたが、どちらもなんだかしっくりこない。
1300円あまりと高価な上に、ポレポレに見せたら「合板だよ」と言うことで、せっかく古い着物を裂いて胴裏を藍染めと柿渋染めし、リサイクルに満足していたのにがっくりきた。
「ムクの木で取っ手作ってもらえないかしら?」とお願いしたら、さっそく「できたよ」と見せてくれたのが下の写真のもの。
つやつやと手に優しく、木目もきれいで、大満足。
柿渋を塗ろうと思っていたが、そのままで使うことにした。
すぐ自然の飴色にやけて、手の脂でぴかぴかしだすはず。
思いがけず「夫婦合作の裂き織りバック」が誕生しそうだ。
12月9日(土)雨のち晴れ 文旦の収穫
12月に入って朝晩は冷え込む日が多くなったが、日中は半袖Tシャツ1枚で作業できる。
やはり今年は予報通り、暖冬なのだろうか?
去年は12月5日に初雪が降っているが、今年はそんな気配もない。
それでも年内もあと3週間あまり。仕事がたて込んで忙しかったが、ようやくモミの木を飾りつけ、12月の気分になった。
10年来のモミの木が成長しすぎて、室内に置くのはかわいそうになり、庭の真ん中に植えつけた。
だから、今年のモミの木は新たに室内用に準備した2代目だ。
なかなか小さいのが無くて、ポレポレは「ゴールドクレストで代用してもいいんじゃないの?」と提案してくれた。
でも私はなんとなく気乗りせず、譲歩するとしてもドイツトウヒにしたいと思って探して歩いた。
まあまあのモミの木に巡り合い、これでまた10年はクッキーをつるしたシンプルなクリスマスツリーをリビングに飾れそうだ。
今年は柑橘類のなり年なのか、文旦もきんかんも実がたわわについた。
下の写真のように、実の重みで地面についているところもある。
そろそろ収穫の時期なので、ポレポレとまず文旦から収穫をした。
庭に2本だけ植えて、化学肥料や農薬は1度もやったことがない文旦だが、なるわなるわ1本に50個以上はついている。
半分くらい取ったところでネコ車いっぱいになった。
文旦はすぐには食べれない。1か月ほど寝かせて、ようやく甘くなる。
ポレポレがステビアを刈り取ってくれて、文旦の木の元に敷いた。
ステビアは砂糖の300倍ほど甘味のあるハーブで、紅茶に入れるのは葉っぱ1枚で十分甘い。
葉っぱを利用し、白い花も終わって枯れてくると、今度は文旦の根元で甘みを出すために役立ってくれるという、ありがたいすぐれもの。
今年はブルーベリーの木も増やし、鈴なり桑も新たに植えたので、来年はまた庭の恵みが豊かになりそうだ。
後ろに見えるのが文旦の木
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