2005年12月の暮らし
12月31日(土)晴れ 2005年はーと・らいふ村の10大ニュース
第1位 NHKワールドカレンダー金賞(ポレポレ)
第2位 四万十ウルトラ100キロマラソン完走、12時間53分(ポレポレ)
第3位 四万十川45キロカナディアンで下る、8時間
第4位 砂浜キス釣り大会優勝、大漁賞独占(ポレポレ)
第5位 「第12回チャリティー野の手仕事展」開催
第6位 離れ新築、ガレージショップオープン
第7位 大方町マラソン大会3位入賞(ポレポレ)
第8位 県展、市展、各種写真コンテストで入賞(ポレポレ)
第9位 四万十川45分間にスズキ4匹釣る(ポレポレ)
第10位 ボランティア活動続ける(ポレポレ・キリコ)
次点 またもや骨折(キリコ)・・・ただし公務災害よ。
2005年を振り返ってみれば、いろいろなことがありました。
社会はますます生きにくくなり、事故や災害もたくさんありました。
そんな中で、元気に暮らせただけでも幸せなのかも知れません。
いい出会いや楽しいこともいっぱいあったし、逆に信じられないような出来事にも遭遇しましたが、それが人生ですね。
いろいろな人がいるから、いい人との出会いに感謝したくなるのだと思います。
人生は短い。私はできるだけ、感動するもの、美しいもの、好きなもの、に心通わせて生きたいと思っています。幸い、私の周りにはいっぱいあります。
そして、一つずつ夢を叶える努力を惜しみません。来年も夢を二つ叶えます。
2006年が平和で、みなさまにとって幸せいっぱいのよい年でありますように・・・。
12月30日(金)晴れ おもちつき
29日は大掃除、30日はおもちつき、31日はお正月様の準備。元旦はお歳とりの行事をして、お雑煮を食べて、三社の氏神様に初詣、そのあとお墓参り。
毎年、毎年、判で押したような我が家の年末年始だ。物心ついてから、まったく変わっていない。
今年はちょっと違って、29日は大掃除ではなく小掃除を午前中そそくさとして、大勢のお客様でにぎわった。とっても楽しい一日だった。
よき人たちとの語らいほど、元気をもらえるものはない。最後のお客様を見送ってから、すっかりもち米を浸けるのを忘れて寝てしまった。
おもちつきは前夜から準備をしておくのだ。失敗。
朝一番でもち米を水に浸け、その間にあんこを作り、もろ蓋を洗ってウッドデッキに干しておく。午後1時からおもちつきをスタート。
まずは鏡もちだ。それから、お重ねもちを12組。白い紙を敷いて、2段重ねのおもちを神棚や大神宮様や蔵や工房や離れ・・・、いろいろな場所に祭っていく。昔は農具にも祭っていた。「この一年ご苦労様」の意味だろう。
そのあとはいつもの6種類のおもちを丸めた。白もちと古代米もちと芋もちを、あんこを入れたのと入れないのを作る。
子どもの頃からおもちつきは手伝ってきたので、手馴れたものだ。昔は何日ががりかの大仕事だったけど、今は当日だけ手伝ってもらえば大丈夫。って言うより、今の子どもたちにもこの伝統を伝えたいと思う。
買えばいくらでも売っているおもち。でも、自分で準備して、手の皮を真っ赤にして熱々を丸めて、大きいのやら小さいのやらいびつなのやらいろいろあるけれど、ほっぺたに粉をつけながらつきたてのおもちを頬張って、「おいしいねー」と言いながら日本茶を飲む。
途中でお歳暮を届けに来てくれた人がいたりすると、「まあ上がっていって。おもちでも食べて」なんて言うのも、年の瀬にふさわしく幸せになる。
芋もちはきなこで、そのほかはもち取り粉で丸める
12月25日(日)晴れ 部落委員
毎年正月2日と、年の暮れの2回、地域の人々が全員出席の会合がある。
地域でのいろいろな決まりごとや行事があるので、会計報告をしたり、来年度の委員さん3名を選挙で決めるのだ。
ポレポレが帰ってくるなり、「来年の委員になった」と言うので、ひぇーーと思わず驚いた。
「だってIターンのあなたじゃなくても、この土地に生まれ育った年上の人たちがいっぱい居るでしょう?!」と言うと、「僕だってそう思うさ」。
どうして票が集まったのだろう。私の推理では、中山間直接支払い制度の会長を5年間やったことが要因だと思う。
今年でその役も終わる。次は委員に・・・と考えた人がいたのだろう。
来年一年間は委員会に出席し、地域のいろいろな問題について話し合ったり、町役場に陳情に行ったり、新しい体験も多いことだろう。
でも、考えてみれば、Iターンだからこその新鮮な視点で、地域のことを考える委員が1人くらい入っていてもおもしろいんじゃないの。
ポレポレは地域のことは一番経験不足だと思うが、さまざまな国で暮らしてきたという点では、ポレポレが一番だと思うから。
12月24日(土)晴れ 磁力
昨夜は気楽先生宅でイルミネーションを眺めながら、楽しい集いを満喫した。
県外からの初対面の方もいたのだが、少し話せばすぐに「ああリンクできる人たちだわ」と伝わってくる。
多分、人間は磁石なんだ。同じ志を持った者は、磁力で引かれ合うから、出会うべくして出会うのだろう。磁力は意志だ。
そうして人はつながっていく。つながることはとても大切なことだ。
イヴの今日はお天気もよく、料理をいろいろ作ってみんなで試食した。
食べるということは、生きることだ。贅沢な料理ではなくても、手をかけて育てたものをできるだけおいしく食べたい。
庭のサニーレタスを使った手巻き寿司、とってもおいしかった。
今年のクリスマスケーキは苺味。チキンはスパイシーと照り焼きと2種類焼いて、隣のおばさんちにも届けたら喜ばれた。
気楽先生宅のイルミネーション
12月22日(木)吹雪 静寂
朝起きたら、すごい雪。今月は何日雪が降ったか、もう分からなくなるほどだ。
今日が一番積雪が多くて、ベランダで15センチだった。
ポレポレが雪かきをしてくれたが、つるつるに凍っていて歩くのも恐い。
しかも一日中吹雪いて、バスも入らず、郵便屋さんも来ない。ディサービスも村の行事も、みんな中止になった。
ただただモノトーンの静寂の世界。無人の村のようになってしまって、なんだか落ち着かずに何も手につかない。
雪国の人たちは、こんなのが毎日続くのだろうか。保存食の必要性が分かる。
喜ぶのはモクとハナばかり。鶏小屋の水が凍って、雄鶏シローは怒りの泣き声だった。
明日は晴れますように。
やっとうっすら太陽が見えた瞬間、でもすぐ・・・
12月17日(土)雪 チャリティー展終わる
今年のチャリティー手仕事展が終了。
雪が続いて心配だったが、昨年を超す300名以上の方が来てくださって、感動いっぱいの手仕事展だった。
スタッフはじめ期間中おいでてくださったみなさん、お買い上げくださった方々、作品を提供してくださったみなさん、HPで応援してくださったみなさん、マスコミ各社のみなさん、ほんとにありがとうございます。
悲惨なニュースややりきれない事件がいっぱいの世の中、信じられない社会だ。
でも、この3日間は人の優しさや善意がいっぱい、こんな時間を共有できてほんとうに幸せだと思った。
一閑張りの須賀先生のお母さまは88歳。「娘の作品展が見られて、長生きして良かった。来年は私も出したい」とおっしゃってくださった。
ぜひぜひ! それが「野の手仕事展」の「らしさ」だもの。
今年は10代から60代だったけど、来年は80代になるかも知れないなんて、うれしい話だ。
初参加の10代の伊代ちゃんがとてもしっかりしていて、この3日間で感心しきりだった。
作品の前で奈々ちゃんと二人並んだ写真は、すばらしい笑顔! 眺めている者もうれしくなるような笑顔が、なによりも「楽しかった」という言葉を物語っている。
伊代ちゃんのお母さんには、準備から片付けまで本当にお世話になりっぱなしだった。
今年も窪川から駆けつけてくださった、早苗ちゃんのお母さん。
メイさんは東京から来た友達を案内してくださり、一番遠くからのお客さまになった。
海癒のミツさんご一家や圭さんのご主人。同じ時間帯だったら、ぜひご紹介したかったけど。
教え子のAちゃんや聾唖の大工さんのTさんも、子どもさんを連れて来てくださった。みんなみんなたいへんな思いを抱えて、がんばっている人たち。なんて優しく、さりげないのだろう。
きっとたいへんだからこそ、優しいのだ。人の痛みが分かるのだ。
毎年ご主人と息子さんと三人で来てくださっていたOさんは、今年は息子さんと二人だった。ご主人を介護する毎日だと、話して帰られた。
文筆家のご主人は、手仕事展のことを雑誌に書いて持って来てくださったこともあったのに。
シルバーカーを押して、よろよろしながら毎年欠かさず来てくださるハツコさん。
今年は最終日になっても姿が見えず、「雪で寒いから出られないのかしら。それとも、まさか寝たきりになっているのではないだろうなぁ」と心配していたら、片付ける時間ぎりぎりになって杖をついて小さな体で入って来た。
確か、去年もそうだったのだ。80歳をとっくに過ぎた人が、毎年新しいストールと新しい椅子を必要としているとは思えない。ただただ私たちの活動を応援するつもりで、来てくださるのだろう。
そんな善意の人々と、年に一度の出会い。会場で知り合って、また来年を楽しみにお別れする。
その感動に力を得て、来年はもう一つ新たなステップを踏み出そうと思っている。
お客さまでにぎわう会場
12月14日(水)雪のち晴れ 「田舎暮らしの本」
東京の宝島社のS編集長さんと、カメラマンさんが取材に来られた。
月刊「田舎暮らしの本」は、私もポレポレも以前愛読していた雑誌で、本棚にあるのを見たら古いものは1992年から、新しい号で1997年の発行だった。
お二人ともとても感じのいい方で、取材を忘れて話し込んですごく楽しかった。
ほんとに博識、そして的確に反応してくださるので、たいへん勉強になる。
ポレポレはカメラマンさんに興味しんしんで、カメラや撮影の仕方を熱心に観察している風だった。
モクやハナまで載せてくださることになって、校門に捨てられていた二匹もいよいよ全国デビュー。光栄だワン。
田舎暮らしの本1月号
12月13日(火)雪 夜回り先生
こんなことってあるんですねー。
夜回り先生こと水谷修先生の講演会があって、ポレポレと奈々ちゃんと出かけました。
「眠れない子どもたち」という演題で、すべての大人たちに聞いてほしい内容の話でした。
雪の中、寒さもなんのその、感動で充たされて外に出たのです。
ロビーで奈々ちゃんは、「握手してもらいたいなぁ」とキョロキョロしていたのですが、「無理よ。だって忙しいからすぐに松山へ移動だと言ってたでしょ」と言って、駐車場に出たのです。
雪がたくさん舞っていました。
車のところで、ふと建物の裏手を見たら、スーツ姿の男性がタバコを吸っていたのです。
何気なく見たら、ちょっと照れたように軽く会釈しました。きれいな瞳。「?!!。まさかぁ」
瞬間、「奈々ちゃん、来て!」と飛び上がってしまいました。
水谷先生だったのです。近づいて「握手してやってください」と言うと、すぐにタバコを消して(ああ今思えば申し訳ないことを・・・)、奈々ちゃんと握手してくれました。
写真も並んで撮ってくださって、ほんとに優しいステキな先生でした。
それにしても、これは奈々ちゃんへの神様のプレゼントですね。
今年、奈々ちゃんは、宿毛ではヤンキー先生と握手し、今夜はたぶんたった一人だけ夜回り先生とも写真を撮ってもらい、天にものぼりそうに興奮していました。
12月11日(土)晴れ 一閑張りと刺し子
両方とも昔からある日本の伝統文化で、リメイクという点も共通する。
一閑張りは農閑期に、傷んだ竹かごなどに和紙を貼って、柿渋を塗って再生して使ったのが始まりだ。
竹かごも和紙ものりも柿渋も・・・、きっと全部手作りだったのだろう。
使えなくなったものを、なお大切によみがえらせて愛用しようとする心が好き。だから一閑張りも好きなのかも知れない。
刺し子もそうだ。気楽先生にお借りした刺し子の半纏は、傷んだ布に一針一針刺して丈夫にして着ていた。
細かな針目をびっしりと刺すのは、夜なべ仕事だったのかも知れない。
昼間は野良で働き、夜は囲炉裏のそばでせっせと手仕事をする。絵のように光景が浮かんでくる。
リメイクといえば、この二つだけではない。古布衣もそうだし、酒袋のバックもそう。木工だって、捨てられる木や端材を大切に取り上げて作品にしている。
私の染めも、胴裏を染めたり、黄ばんだセーターをほどいて染めたり、けっこうリメイクしている。
「野の手仕事展」は、高価な芸術作品展ではない。
生活と密接に結びついて、見捨てられそうなものを丁寧に愛して作品にする・・・そんなところが、私が誇りに思う点だ。
ぜひ、多くの人に見に来てほしい。
秋田刺し子の袖なし半纏(こちらではそうたと呼ぶ)
12月5日(月)雪 世の中にはすごい人がいっぱいいる
まさかの雪。例年より早いような気もするが、12月だから不思議でもないか。
昨夜、テレビでとても感動的なドキュメンタリー番組をやっていた。
世界的な科学者の先生が脳梗塞で倒れ、リハビリをしながらPCで意思を伝え、なんと本も出版しているのだ!
一見すると、一般の脳梗塞の人となんら変わらない。半身マヒし、よだれが流れ、言葉も出ない。母を思い出した。
でも、先生は「病に倒れて失ったものも大きいが、新たに生まれるものもある」と言うのだ。
そして、「今のほうがより良く生きているかもしれない」と。
もちろん、すぐにこんな心境になったのではなく、何度も死を考えたそうだ。
奥様も内科医だし、恵まれた環境にあったとはいえ、画面から見る先生の姿に圧倒された。
人間は底知れない力を持っている。それは予測できないくらい大きな力だ。
先生を慕って集まる弟子たちの会合に出席し、必死で訓練して発した「カ・ン・パ・イ!」
晩酌を欠かさず、子どものような笑顔で楽しむ。服にも気を配る。
今のほうがより良く生きている、その言葉が強がりではないことを、何よりも先生自身が証明していた。ああ、世の中にはまだまだいっぱいすごい人がいるんだ。
客観的に与えられたものが、幸不幸を判断するのではない。いかに生きるかだ。
ポレポレ工房定番の乗り物、木馬とおもちゃ箱と三輪車
12月4日(日)雨 ほっとブシュ柑
冷たい雨が朝から降った日曜日。いよいよ本格的な冬到来だ。
薪ストーブを一日中焚いて、部屋の中をぽかぽかに暖め、「ほっとブシュ柑」を飲む。
ちょっと響きが悪いな。ほっとレモンとか、ほっとオレンジの方がおしゃれだ。
でも、おいしさでは負けない。
裏庭になっているブシュ柑が、黄色く色づいて少し甘酸っぱくなった。
二つに切って、半分を1カップに絞る。それにハチミツを加え、熱湯でのばしただけの飲み物だが、これがおいしいのよねー。
風邪の引き始めくらいだったら、一発で治る。まるごとビタミンCって感じ。
もう一種、先日から「おいしい、おいしい」と飲んでいるのは、ジャスミンティーだ。
妹がプーケットからお土産に買ってきてくれたもので、パッケージもとても可愛い。
眺めてうれしくなり、飲んで幸せになる。ティータイムは、毎日の癒し。
食事は1食や2食抜いても平気だが、飲み物だけは欠かせない。
2005年11月の暮らし
11月23日(水)晴れ 美術室
掲示板でのんちゃんが書いてくれていた「写真」は、美術室の昼休み光景のことだ。
毎日昼休みになると、1年も2年も3年も、学年をとわず大勢の生徒たちが美術室にやってくる。
キリコ先生は大忙しだ。骨折しても学校だけは休みたくなかったのは、実は授業と並ぶくらい昼休みの生徒とのふれあいが大きかった。
最初は3階の空き部屋が始まりだった。
昼休みになると大勢の生徒が来るようになり、「ここに来るとほっとする」と常連さんのSちゃんがつぶやいて「ほっとスペース」と名づけた。
でも、その居心地のいい部屋はまもなく「使用禁止」を言われて、使えなくなった。
不登校の生徒のための部屋なのだからということだった。実際は全く使っていないので、もし不登校の生徒が登校してきても、ほかの生徒も出入りできるのがいいなぁと思ったが、結局ダメだった。
いろいろ相談に来ていた生徒が多かったので、2階の「相談室」を使うことにした。ここは木曜日の半日だけスクールカウンセラーが使っているが、あとは空いている。
また生徒が「相談室」に集まりだした頃、そこも「使用禁止」になった。今度は昼休みに生徒も居るところへ入ってきて禁止を言われたので、傷ついた子がいたのが辛かった。
結局、学校で一番汚い「美術室」に落ち着いて、また大勢の生徒たちが集まってきている。
今までの二つの部屋とは比べものにならないほど環境はよくないが、それでも生徒はちっとも変わらず集まっていることを思うと、ポレポレが「もし美術室もダメになったらベランダでもどこでも、あなたの行くところに生徒は集まるよ」と言う通りかも知れないと思い始めた。
問題は、何か悩みが無いとキリコ先生を訪ねてはいけない、とカン違いしている生徒がいること。
W君が真剣な顔で、「ぼくキリコ先生に相談したいけど、なんも悩みがないもん・・・。あー、そうだ、ケン玉がうまくなる方法習いに行ってもいい?!」には笑った。
昼休みだけではない。休み時間も放課後も、生徒たちは職員室に「キリコ先生」と手招きに来る。
やりかけている仕事があっても必ず応じて、廊下の長椅子で話をする。一日何度もだ。
べつに私は大きな力などない。でも、子どもの求めにできるだけ力になりたいと思うのは、大人なら当然のことだ。
そしてそれは、私自身が子どもからもらう「感動」が、はるかに大きいことを知っている。
先日、ドクターストップがかかってから、少し療養させてもらっていて、美術室に行けなくなっている。
何人かから「先生どうして開けんかったが。僕何回も行ったに・・・」と言われた。
ごめん、ごめん。早く足を治してぜったいまた開けるから、待っててね。
11月18日(金)晴れ Rural Stage (Gold Prize)by Hirosi Chiba
NHKから電話があって、今夜7時55分からポレポレの写真が紹介されるということだった。
「テレマップ」という番組で、来年度のワールドカレンダーの紹介と、浅井慎平さんが審査しているところ、そして金賞のポレポレの作品のコメントもしてくださった。
幡多郡十和村の棚田で草刈りをしている風景と、高知県 千葉 洋 さんとテロップも出た。
ちょうど奈々ちゃんが来ていて、二人で「わー、わー」騒いで見たが、本人はいつもの通り冷静だった。
カレンダーの見本も届いて、8月のところに写真とタイトル、金賞 氏名 撮影地、日本語と英語の説明がついていた。
ワールドカレンダーなので、外国にも毎年送っているわけだ。英語の説明はこんなふうだった。
There are numerous terraced rice-paddies in the village of Toowa and elsewhere along
the middle reaches of the Shimanto River in Kochi prefecture, Shikoku. A farmers wife
is trimming the grass on a terrace separating two fields of rice. The terraced paddies,
illuminated by the afternoon sun, appear as a stage.
実はポレポレが受賞するきっかけを作ってくれたのは、十数年も前から毎年年末にカレンダーを送ってきてくださっているKディレクターさんだ。
NHKの名古屋局で「中学生日記」のチーフディレクターをされていた時に、わざわざ馬荷までロケに来てくださったのが出会いだった。その時は「東先生」が中学生日記の先生だった。
それから渋谷のNHKに転勤になっても、ずっと我が家にはNHKのカレンダーが飾られ、もちろん全部大切に保管してある。
名古屋のNHKにも渋谷にも、Kディレクターさんを訪ねたことがある。そして、Kさん自身も写真が大好きで、退職したらカメラをかついで日本中を旅するのが夢で、「ご主人はライバルです」と笑っていたのだ。
本当なら受賞が分かった時に、真っ先にお礼を言うべき人なのだが、私はまだ黙っている。
Kさんが「カレンダーを決して一度に全部見ず、毎月めくった時に写真と出会うのを楽しみにしているんです」とおっしゃっていたのを覚えているからだ。
8月にポレポレの写真を見て、「うっそー!」と驚かせるのも楽しいかなと思って。
11月17日(木)晴れ 秋の便り
大病を患いながら、いつも教室や手仕事展に顔を出してくださるMさんから、葉書が届いた。
お手本にしたいようなきれいな文字で、細かくびっしり。
メールに慣れていたこの頃、こんな葉書を受け取るとしみじみとその人柄がしのばれる気がする。
《 前略 旅人が楽しむかのように柿の実も熟れ、秋も深まって参りました。お変わりなくお過ごしですか。
土曜日、パッチワーク展に行き、大方でお弁当を買い、馬荷へと伺いました。途中、秋桜があちこちの田んぼに美しく咲き、見る目を楽しませてくれました。
中広の道があり秋桜が咲いているところで車を止め、小川に下りて行き、1人でお弁当を食べました。川ニナもおり、水の流れを見て、自然っていいなぁー。空気もおいしく、一寸ばかりおセンチ気分にひたっていました。
鎌倉で同僚の保母さんより、鳩サブレーを送っていただいてたので、おすそ分けを持参したのですが、犬が挨拶してくれ、独り言を言いながら蕨岡を抜け、50何年ぶりに同級生に逢い、浦島太郎のようでした。道で逢っても分からなかったと思います。
カゴ落ちてしまって、シュン太郎です。草々》
せっかくいい気持ちで里山の秋を楽しみながらうちに来てくださったのに、ちょうど私たちは留守でモクとハナが吠え立てたんだ。申し訳なくも苦笑いしてしまった。
終わりの1行は説明が要るだろう。カゴというのは来月ある「一閑張り教室」のことで、参加申し込みが定員の2倍だったとかで、知り合いの多くが「落ちた」と残念がっている。ばあばちゃん、A先生、佐賀町のYさん・・・。お気の毒。
こればかりは主催者が選ぶのだから私の責任ではないのだが、聞くとつい「すみません」と謝ってしまう。来年早々にでも、また教室を開けたらいいのだけど。
秋も深まって・・・
11月5日(土)晴れ スズキ、4匹!!
今日、ポレポレは「中山間地域直接支払い制度」の農道舗装工事で、セメントだらけになって夕方帰ってきた。
5年間会長を務めたこの会も、今年が最後だ。田畑の一つ一つの昔からの呼び名も、地権者の名前も、多分一番知らないであろうポレポレが中心になって動いた5年間は「本当にごくろうさま」と言いたいものだった。
この5年間に、村の農道はみんなで協力してどこもきれいになった。いろいろな人の意見をまとめ、生コン業者と連絡を取り、村の放送で伝達し、そして今日のようにみんなで作業をする。
町役場の担当さんとの打ち合わせや、工事の監査や・・・その度に書類を見て電卓はじいていた。参加者への日当も考えなければならないし、気苦労もあったろう。
それも、もうほぼ終了に近い。
今日も農道を使っているおばさんが喜んで炊き込みご飯を差し入れしてくれたとかで、「腹いっぱいで夕飯は要らない」と帰ってきた。そして「ちょっと釣りに行ってくる」といそいそと四万十川に向かった。
8時前にもう帰って来たので、「さすがに作業の後は疲れていて、釣りにならずに早めに切り上げたんだろうな」と思っていた。いつもはもっと遅いのだ。
やおらキッチン前に新聞紙を広げ出したので、「あれれ?」と思っていたら、車庫に引き返して重そうにまた入ってきた。その手に4匹のスズキ!! ぎゃあーー。
なんと45分の間に、立て続けに4匹もかかったのだという。周りで釣っていた人もびびっていたそうだ。
2匹ずつ紐でくくっていたが、新聞紙の上に寝かせるとピチピチ動いていた。
それからが大変。とにかくいつものようにまず魚拓。動くので取りにくいが、なんとかつぎつぎに魚拓をとり、冷蔵庫に入らないのですぐみなさんにあげようということになった。
ポレポレは一番大きな71cm、3.1キsのを持って、また出かけて行った。ごくろうさま。
私は四万十川近くに住んでいる中学生の金太郎君に、「スズキが釣れているらしいよ」と電話。
テレビでも見ていたのかもっそりした声で電話に出た金太郎君、たちまち声がうわずって「ありがと。今から行ってみるけん!」。
夜遅く金太郎君親子が「釣れなかった」とやって来たので、2番目に大きい60cm、1.6sを一匹あげた。
ちなみに残り2匹のサイズは、53cm、1.2sと、50cm、1.2s。ほぼ同じくらいだった。
金太郎君とポレポレは長い間なにやら真剣に話していた。図を描いたり、ルアーや潮を見る暦なども金太郎君に見せて説明している。どうやらスズキの釣り方を伝授しているらしい。
うちで食べる分とご近所にあげる分については、内臓だけとって冷蔵庫に入れた。
明日、お刺身、ムニエル、から揚げなどにして食べよう。そうそう、アラはお汁に炊くのだ。ニラもいっぱいあるし、久しぶりにスズキのご馳走をいただこう。
スズキ4兄弟
満足そうな顔
11月4日(金)晴れ 持つべきものは、友達
昨夜遅く、大阪の親友アッコから電話があった。興奮ぎみで、普段からわいわい元気な子がよけいわーわー騒いでいるような感じを受けた。
「今日、NHKホールへ行ってたわよ。あったあった、ポレポレさんの写真、確かに金賞って出てたよ。写真撮ってきたからね。コメントも写してきたからね。でも、字が小さくて読めん。ルーペで読むけん、聞いてよ。えい?」
苦労して読んでいるしどろもどろのまま、浅井慎平さんの評を読み上げだした。
片道1時間もかけて観に行ってくれただけでもありがたいのに、それも2回も行って、今日は写真も撮ってきてくれたらしい。
忙しいご時世に、誰が友達の旦那の写真を観にわざわざ行ってくれるだろう。本当にありがとう、アッコ。
アッコの話では、いい写真がいっぱいあったようで、そんな中でポレポレの写真は「めちゃシンプルに見えた」とのこと。
浅井慎平さんの選評はポレポレが予想していた通り、光と影を評価していた。そして「個性的な作品」と・・・。
聞いて、電話口で笑ってしまった。確かにそれは、ポレポレの写真の特徴だと思う。
去年、二人で県展を観に行った時、たまたま鑑賞会をやっていた。ベテランの写真家が解説をするのにくっついて、ぞろぞろと集団が動いていた。
だんだんポレポレの写真に近づいていくので、何と言うのかと興味津々で耳をそばだてていたら、「これは何じゃお? 鼻緒に似ているなぁ」とかなんとか言っていた。
観ていた人もみんなが首をかしげて「んー?」と困っているので、ふき出しそうになって「似ているんじゃなくて、鼻緒だよ」とつぶやいた。
県展はそれぞれテーマごとにまとめて写真を展示している。祭りの写真、海外の写真、風景写真・・・というふうに。
ポレポレの写真は毎回、どこに飾ろうかと迷ったのが手にとるように伝わるのだ。「うーん、この写真はどのグループにも入らん、どうしょう??」と困って、最後にとってつけたように飾ってある。笑える!
アッコは今月末にお母さんの介護で、大方町に帰ると言っていた。30日の誕生日、よかったらうちでお祝いしよう。ルーペで選評を読み上げて知らせてくれた、感謝もこめて・・・
今この花が盛り。名前はホトトギス。大好きな花です。
11月3日(木)曇り 木の器
夕方、ひじきご飯を炊いてお隣のおばさんちに届けたら、「キリコちゃんにもらった写真をデイサービスに持っていって見せたら、ほら、こんなに大きくしてくれた」と飾っていた。
私が10月24日の「写真」のところで使ったのと同じ、花婿花嫁の写真だった。
とても気に入ってくれていて、焼き増しも5枚頼まれて帰ってきた。喜んでもらえるのはうれしいもんだ。えへへ、私の写真の腕もまんざらじゃないでしょ、とポレポレに自慢したくなる。
ポレポレは手仕事展に向けて、木の器づくり。
リチャード夫人の高知のマンションに伺ったとき、とてもすてきな木の器にお菓子を盛って出してくださった。
私はずっとその器が心に残っていたのだ。雅姫さんの本を見ても、木の器が出てくる。
それも見せたりして、ポレポレにねだり続けてようやく実現。
いろいろなタイプのを作って見せてもらっては、「あーだ、こーだ」と言っている。言うだけの人は本当に楽。
今のところ、私はフリーハンドの形がおもしろい大皿が気に入った。これに似合う盛り付けを考えるだけで、わくわく楽しくなる。
私は藤井先生にプレゼントするバックを作っている。やっぱり「花」がモチーフになった。
なかなか気に入るものが出来るのは難しい。自分が作る側にまわると、大変さが分かる。
けやきは本当に木目がきれい
11月1日(火)晴れ I君の転職
感動的なことが、3つもあった。
まず、押し花の藤井先生が、「はーと・らいふ村」をモデルにした額を作ってプレゼントしてくださった。
木の家、裏の山々、庭の草花たち・・・、「はーと・らいふ村」の世界がそのまんま描かれている。「これが押し花で作ってあるの?!」と驚嘆した。
お金で買えない、世界に一つだけのステキな作品をありがとう! 家宝にしますね。
2つ目は、昨夜長い電話をくれたKさんからの再度の電話。
体調が悪くて、病院に行っても検査の結果は異状がないと言われる。でも、本当に毎日辛くて、どこか治療してくれるところはないだろうか?・・・という相談だった。
きっとストレスが原因だと、Kさんも私も一致した。そういう微妙な治療は、検査の数字だけで判断しても分からない。
「気功の気楽先生に電話してみて。きっと診てくださるから」と紹介した。
今日気楽先生に電話したら、さっそくすぐに診てくださったとか。長年悩んできた体調の悪さも、「この際、卒業しよう」と言ってもらったそうだ。
「帰りの車の中で、ひとりでに涙が流れてきた・・・」とKさんがうれしそうに報告してくれるのを聞いて、私も心からうれしかった。
微妙な体調の悪さは、なかなか他人には理解されないものだけに、本人には本当に辛いものがあると思う。
そういう不安や悩みも受け止めて癒している気楽先生は、まさに「人を救う」仕事をしているのだなぁ。本当にありがたい。
3つ目はポレポレの親友、I君の転職。
I君はポレポレの小学時代の同級生。サッカー部のキャプテンと副キャプテンとしてコンビを組んでいたそうで、高校では同じクラブチームでサッカーをやっていたそうだ。
うちにも一度遊びに来たことがあるけど、性格はポレポレとは正反対。堅実なタイプの人に見えた。
大学を卒業して会社に入り、高校時代からつきあっていた女性と結婚。3人の子どもさんがいる。
I君がいずれ会社を辞めて好きな道に進みたがっていることは、ずっと前からポレポレに聞いていた。
そんな相談のメールが届いたこともあった。その度にポレポレと「I君は果たしてどうするだろう」と話題にのぼっていたが、やはり子どもさんのこともあるし、奥さんの理解が得られるかどうか、踏み切るのは勇気もいるだろう・・・と二人で話していた。
今日ついに、「転職が決まりました」のメール。驚いたけど、「とうとうやったねー! おめでとう」と感動した。
12月から、ずっと前から夢見ていた造園の職人として働くそうだ。
「大きな決断でした。経済的にも仕事的にも大変になるけれど、あとには引けません」「二人の生き方はいつも励みになります。助かります」
二人というのは、ポレポレとカナダ在住のT君だ。堅実なI君にとって、自由にやりたいことを貫く二人の生き方はどう映っているのだろう? と何度か思ったことがあったので、なんらかの励ましになったんだなぁと改めて思ったりした。
「今度会うときは職人です」の一行に、I君のすがすがしい決意と希望を感じた。
いつか「はーと・らいふ村」の造園を、I君にお願いする日が来るような気がする。
庭はいま、ネコジャラシがいっぱい
2005年10月の暮らし
10月31日(月)晴れ 好きな季節、好きな食べ物
10月も今日で終わり。あい変らずせつなくなるようないい季節。自然の中に出かけたい、旅にも出たい・・・と思いながら、仕事と家庭とボランティアを続けている。
庭は赤いパイナップルセージと紫のアメジストセージ、ムラサキルーシャンが主役。こぼれ種で育ったマリーゴールドとコスモスも少し咲いている。
秋野菜がとてもおいしくて、朝昼晩と野菜ばかりでも文句はない。
ニンニクたっぷりの野菜炒め、あったかいきりたんぽ鍋やちゃんこ鍋が人気がある。
たぶん今日で最後の収穫になるだろうなと思う、夏野菜のナスとピーマンも食べた。味はもう秋野菜にかなわないのだけど、「長い間ありがとう」の気持ちでいただいた。
一番好きな食べ物は「ご飯」。二番に好きな食べ物は「野菜」。三番目は「果物」。
・・・誰かに聞かれたらそう答えようと思いながら、誰にも聞かれないので便りに書いた。
ウッドデッキ横のセージの花が来客を迎える
10月24日(月)晴れ 写真
おととい私が着物を着たのは、M君の結婚式に出席するためだった。
いとこの子どもにあたるM君は、赤ちゃんの時からよく知っている。一人でうちにも何度も遊びに来て、わんぱくぶりを発揮していたのが昨日のことのように思い出せる。
明るくさわやかに、自分の言葉でしっかりと愛を語れる青年に成長していて、本当にうれしい。
M君が初孫にあたるおじさん、おばさんは、うちのすぐ隣に住んでいる。二人とも出席するのだろうと思っていたら、車椅子で移動しているおばさんは欠席だと言う。
残念だ。初孫であんなにかわいがっていたM君の晴れ姿を見せてやりたいのに・・・。
デジカメでたくさん写真を撮って、次の朝早く真っ先におばさんに持って行った。パソコンはこんな時本当に便利だ。
プロのいい写真はあとできっと届くだろう。私の場合は、とにかくいち早くおばさんにM君の晴れの結婚式の姿を届けることが一番。
案の定、おばさんは泣きながら喜んだ。気丈な人だが、おじさんが「行ってくるよ」と言って出た時も、1人で泣いてしまったと言う。そりゃそうだろうな。元気だったら、出席できたのに、悔しかっただろうなぁ。
ベッドに寝たきりのおばさんは、きっと一日中写真を眺めてることだろう。
着物姿で会場を右往左往、ずいぶん忙しく写真を撮りまわった。今思い出せば恥ずかしい。
普段はポレポレにまかせっきりだが、ポレポレだったらこういう場面をこういうアングルで撮るだろうな・・・と想像しながら撮ったので、もう着物姿は忘れてじゅうたんに這いつくばるようにレンズを構えたり、人ごみにどんどん入っていった。
見よう見まねだが、いつの間にかポレポレの写真が、私にも刷り込まれていることを確認したできごとだった。
とてもさわやかな感動的な結婚式だった。おめでとう、M君!!
10月23日(日)晴れ コスモス祭り
「はーと・らいふ村」の前を流れている川は、かきせ川という。入野の海まで流れている。
この川の流域の3つの地区、馬荷、御坊畑、橘川で協力して、30日の日曜日に「コスモス祭り」が開かれる。
9時に国道56号線の馬荷入り口に集合。ここに車を置いて、6キロ歩いて馬荷小学校がゴールだ。
この道はキリコが毎日通勤している道。川沿いにくねくねと続く細い道だ。
今ちょうど田んぼに蒔いたコスモスが花盛り。車で走っても気持ちがいい。
来週は、眺めながらウォーキングというわけだ。
ゴールの小学校には、10時30分から地域の農産物や郷土料理の出店が並ぶ。お昼は「とりめし」や「田舎汁」を食べて、馬荷ののんびりした自然を楽しんでもらいたい。
明日はFMラジオの「はーと・らいふ村便り」でもお知らせするつもり。
はーと・らいふ村のすぐ前の田んぼ
10月22日(土)晴れ 着物の季節
朝夕とても肌寒くなった。あんなに暑さ厳しい夏だったのに、季節は確実に巡る。
久しぶりに着物を着た。汗をかく時期は、やはり着物は着たくない。
半襟を付け替えているところへ、ばあばちゃんが来て「キリコさん、膝の下に敷きこんで、ぴーんと伸ばしてから縫うのよ」とアドバイスしてくれた。
ああ、そういう昔の人には当たり前の知恵が、今の私たちには受け継がれていないなぁ。単に私だけかも知れないけれど。
今の子どもたちには、もっと受け継がれていない。浴衣のたたみ方一つ、分からない子がほとんどではないかしら?
私の子どもの頃は、年に一度の着物の虫干しがとても楽しみだった。
母はほとんど一日中かけて、タンスの着物を広げて干し、またたたんでしまうことをやっていた。
すごい量の着物で、かなり忙しい労働だったので、私たちも毎年手伝わされた。
七五三の時のなつかしい振袖が出てきたり、子どもの目にも美しい母の嫁入り衣装を眺められるのは、年に一度の虫干しくらいしかなかったのだ。
今、1人で全部虫干ししようとすると、かなり大変。第一、一日中それをやっても終わらない。
だから私は、少しずつ何日にも分けてやることにしている。
まったく普段は開けたことが無い長持ち(母がお嫁入りのときに持参した箱)の中も開き、湿気を含んだ昔の糸なども風を通す。またふんわりとしてきたような気がして、終わると満足感がある。
きものバンタンさんから、「虫干しは陰干しに」と教えていただきました。感謝!
10月20日(木)晴れ クッキーとメープルシロップ
仕事の帰りに見た空が、とてもきれいだった。
水色の空に、ピンクの雲が浮かんで、バステルカラーの空だ。
山は黒いシルエットになり、家々に明かりがともると、メルヘンの世界である。
和紙を買いに100円ショップに寄ったら、もうクリスマス一色に飾られていて驚いた。
「はやーー、10月からクリスマスか。今年もあと○○日って時期に入ったのね」
もうすぐ年賀状も売り出されるんだなぁ。ああ一年が早い。
この前3年生のOちゃんが、クッキーを焼いて持ってきてくれた。
とってもおいしかったのでレシピを頼んでおいたら、すごく詳しく書いて持って来てくれた。
「ロッククッキー」と書いてあったが、私は「Oちゃんクッキー」と呼んでいる。
ココアパウダーとくるみが入っている。ココアパウダーは手に入らなかったら、ミルクココアで代用してもかまわない。ただそうなると分量を少し変えてください・・・と両方の分量を書いてくれていて、「なんて行き届いた心づかい」と感心してしまった。
神戸の両親が今月カナダに行っていて、お土産のクッキーとメープルシロップを送ってくれた。
シュガーコートで包まれたクッキーはすぐにごちそうになり、メープルシロップのほうは今朝焼いたパンにつけて食べた。
おいしかった! 「さすが国旗にメープルがあるだけのことはあるね」と二人でうなずきあった。だいじに食べよう。
クリスマスには私も毎年ジンジャーマンクッキーを焼く。ツリーに飾るので、極力バターは使わないように硬く焼くのだけれど、今年はおいしさ優先のクッキーを焼こうかな。
夜なんとなく作ったリースもクリスマスっぽくなっちゃった・・・
10月18日(火)晴れ 秋の一日を高知市で
会があって高知市へ。慌ただしかったけれど、せっかくだから県展を見て、一閑張り作家の洋子さんのアトリエにもお邪魔して、紹介してもらったギャラリー喫茶で食事して・・・と、めいっぱい有意義な時間を過ごして帰宅した。
すっかり秋。本当に気持ちのいい季節になった。
洋子さんは手仕事展に向けてたくさん作品を作っていて、見せてくださった。陽だまりのようなアトリエで、好きなことに夢中になれるのは、最高に幸せな日々に見える。時間がゆったりと流れている。
それは洋子さんの人柄かもしれない。包容力のあるステキな人だ。
火曜日にはギャラリー喫茶「ハーヴェスト」で教室も行っているそうだ。「ぜひそこにも行ってみてください、電話いれておきますから・・・」ということで、初めて行った。
アットホームなギャラリー喫茶で、「キリコさん? 洋子先生から聞いてます」と迎えてくださった。オーナーさんとすっかり盛り上がって、2階まで案内して見せてもらった。
またゆっくり行って、いろいろな話をしたい。オーナーさんは「旅に出たい」と言うので、「どこに行きたいんですか?」と聞いたら、「モンゴル」。
メイさんも来店したらきっと意気投合しそう。
看板の後ろに小さく見えているのがオーナーさん
10月16日(日)晴れ 100キロ完走!
ついに四万十ウルトラマラソン100キロを完走しました。
本当におめでとう!
いやー、本当に長い長い一日でした。朝5時30分、まだ暗闇の中をスタートして、12時間53分走り続け、夕方薄暗くなってゴールしました。
一日だけじゃないですよね。今日のために、毎日欠かさず、暑い夏のさなかにも走って走りこんできたことが、今日につながったんですよね。
出発前10分(腕が白いのは寒さ対策のストッキングです)
スタート前は、ポレポレには珍しくちょっと緊張していました。かなりのプレッシャーだったと思います。
完走をめざす気持ちと、体にどんな異変が起きるか想像できない不安。「走ってみなきゃ分からない・・・」という気持ちだったのでしょう。
50キロの半家の沈下橋。
40キロの小野の大橋から50キロの半家の沈下橋。意外にもこの前半がかなりきつくて、「ダメかも知れない」と不安だったそうです。「うーん、きつい」という表情です。
ここにはポレポレの写真仲間も陣取ってくれていて、「会長が走っている」と副会長のMさんがほかの仲間にも話して待っていました。
「明日の例会に響くほどは無理するなよー」と、先輩からも励まされて苦笑していました。
62キロのレストエリア「カヌー館」
カヌー館には朝スタート時に預けておいた着替えや靴が前もって届いていて、やっと休憩がとれます。
暑さもピークで、待っている家族も「暑い」を連発。アナウンスがひっきりなしに、「かなり気温が高くなっています。水分を十分にとってください」と繰り返していました。
水2杯、スポーツ飲料1杯、味噌汁、バナナ、おにぎり1個食べて、自分で準備していたエネルギーも補給し、もっと休憩したい気持ちを振り切るように再スタートを切りました。
ここでリタイアを申し出る人も、何人もいます。休んでしまうと、立ち上がるのにかなりの気力を必要とするのでしょう。
ポレポレは「ウルトラのスタートは、62キロからだ」と、あとで感想をもらしていました。
ひざは写真のように、テーピングの上から持参して走っていたサポーターを付け、レストエリアで痛み止めも1度だけ飲みました。
でも、痛みがどんどんひどくなることはなく、痛くなってもまたおさまって、なんとか持ちこたえることができたそうです。
これは多分、足が鍛えられていたのだと思います。
実際、何度も「ダメかも知れない」と思ったそうです。
でも、その度にいろいろなことが浮かんできて、掲示板の応援がとても支えになったそうです。
そして、沿道の応援。写真のように木陰に座ったおばちゃんたちが、一生懸命応援してくれるのですね。
ポレポレも「ありがとうー」と手を振って応えていましたが、これはランナーにとって本当にうれしい応援だと思います。
おばちゃんたちはお茶や飴やみかんなど、それぞれが持ち寄ってみんなで食べながら応援していて、見も知らぬ私にもわざわざ手渡してくれるのです。さすが四国はお接待の精神が残っているんですね。
けっさくだったのは、おばちゃんたちは双眼鏡でゼッケンを確認する人、名簿でその名前を確認する人、それぞれチームワークよく応援しているのですが、なにぶんにも老眼なので名簿の小さな字に一苦労。
見つかっても字が難しくて、「いやー、これ何て読むが?」とか、もう大変。
そのうちランナーが通り過ぎてしまってから、「三重県のイトウさーーん、遠くから来てくれたんですねー。がんばって!」とか大声で叫ぶ。背中から声援を受けたランナーが、振り返ってにっこりして「ありがとーー!」。とてもいい感じ。
「奈良県のスズキさーーん、あたしも奈良に行った事ありまーーす!」という、個人的?な声援も。
スズキさんはとってもうれしそうに、「また来てねー」。
余裕のあるランナーは、名簿で必死で名前を探しているおばちゃんたちに、逆に「大阪のフクイでーす」と自分の名前を告げて手を振る人もいた。
おばちゃんたちは「言うてもろうたほうが楽や」って。(笑)
「おおの字が見えん、はよ替わって見て!」「まっこと仕事しよるほうが骨が折れんちや」と、大騒ぎ。確かにあの応援はかなり忙しそうでしたが、瞬時に一人一人にコメントを考えるのはすごいなぁと感心してしまいました。
ポレポレが来た時は、私が「大方町のポレポレさんです」と横から教えると、すかさず「ポレポレさーーん、写真も撮りよるけん、がんばってねーー!」
カメラを向けていた私もネタに使われてしまった。脱帽です。
87キロ過ぎ、斜陽を背に受けて、ひたすら前へ前へ・・・
80キロを過ぎた時は、本当にほっとしました。
いよいよ最後の関門、94キロ地点の佐田の沈下橋に向かって走る後姿を見送りました。
この頃にはランナーはみんな、口をきく元気もないほど疲労困憊しています。中には、本当に夢遊病者みたいにふらふらしながら走っている人や、体がすっかりゆがんで倒れそうな人もいました。
優勝したランナーでさえ、最後の10キロは体が重く、手がしびれてしまってダメかと思ったが、ここで止めたら何もなくなると思って走った・・・と新聞にコメントしていました。
ただただゴールに向かって一歩でも前へ進もうとするランナーの姿には、人間の持つ底知れない不思議な力のようなものを感じて、拝みたいような畏敬の念を覚えました。
私は毎年、このあたりで涙でかすんできます。今年もポレポレの後姿を見送りながら、「すごい。ここまで来たら絶対はってでもゴールするだろう」と感動しました。
実際は、最後の4キロは一度も歩かず走り続けたそうです。12時間台でゴールしたいと思ったと言うので、びっくり。
ゴールの瞬間はただただ「うまく写真が撮れるか?」と緊張していました。
私にしては奇跡に近い写真です。(笑) はずしていたら、一生ポレポレに恨まれたでしようからね。
実は今日、欲張って、1人でビデオとデジカメの両方で写していました。
ポレポレは「無理だよ。僕だってカメラ2台を使うのさえ大変だよ」と言われていたのですが、やはりその通りで、応援もしたいし、ビデオで撮っていたらいつカメラにするかと焦るし、もう本当に慌ただしかった。
どうしてもビデオが主になってしまって写真が少ないのが残念ですが、その数枚しかない貴重な写真はけっこう自分では「その時々の表情が出てるな」と自己満足しています。
一番最後に撮った一枚は、ゴールしておいしそうにおにぎりをパクついているところ。この達成感にあふれた表情で、長い一日はしめくくられました。
直後、ポレポレはもらったばかりのメダルを私の首にかけてくれて、「ありがとう、助かったよ」とねぎらってくれました。
私はそれから、ランナーが背負っている二つの袋を肩に、駐車場まで車をとりにいったのですが・・・・
すれ違う人がみんなメダルを見てランナーとカン違い。「お疲れさま」とか「おめでとう」とか言ってくださるのには、ちょっと申し訳なく恥ずかしかったですねー。
10月15日(土)雨 ウェルカムパーティー
あいにくの雨の中、午後から受付会場の安並運動公園へ。
途中で準備のために蕨岡中学校に向かう四万十市のトラックと、何台もすれ違った。
荷台にはライトやたいまつを積んでいた。午後から準備もおおわらわなのだろう。
毎年ながら、今年も雨の中でもテントを張っている選手たちがいる。
車のナンバーを見ると、佐賀県や奈良県の選手たちだ。
体育館でゼッケンなど受け取っていたら、ちょうど塩田さんと一緒になった。
去年のウルトラでも8位、大方町を代表するランナーの大工さんだ。
「がんばってくださいね」と声をかけると、「今年は関節を痛めていて、走るかどうか思案しているところ」と言う。
塩田さんのような大ベテランでも、いろいろあるんだなぁ。
受付会場で早々とお土産を買う人の姿も・・・
夕方5時から、ウェルカムパーティー。しばさんの尊敬するお医者さまでランナーの吉田先生を見かけた。今年は走るみたい。名札を首にかけていた。
すごい人人人の中、高校のクラブの後輩、大西君に会った。「がんばってね!」「おっ、何番?」「1381」・・・自分も100キロ走るんだから、覚えてなんかいられないでしょ。
ほかにも手仕事展に奥様と来てくれている山本君とか、教え子や知り合いの先生たちも大勢出場するのだが、全然会えなかった。
ポレポレはいろり屋さんのうどんを食べて、私は並んで待ってやっと青海苔入りの竹輪をゲットして、30分ほどで会場をあとにした。
ポレポレの調子はまあまあ、でも走ってみなければ分からない、と本人は言っている。
去年よりも緊張しているそうだ。去年は何も知らず、わけも分からず、まあいっちょ走ってみるか・・・といったのん気さだった。
でも、今年は経験があるぶん、どんなに大変か身に沁みて分かっている。
体は必ずどこか痛くなるだろう。耐えられる痛みか、走れる状態か、自分で判断するしかない。
Tシャツは去年のウルトラの真っ赤なのを着て走るそうだ。
いよいよ明日朝、5時30分スタート。
ウェルカムパーティー会場は一条通りアーケード
10月13日(木)晴れ 夢(ひみこ)
「私はほとんど夢は見ない」、キリコさんはよくそう言って笑います。
そうでしょうね。夢を見る暇もない、というところでしょうか。ベッドに入ると3秒以内にグーだとか。キリコさんは列車の中でもどこでも、眠れる人です。
睡眠時間が少ない生活なので、眠れるときに眠ってカバーするのだとか。立ったまま眠ってしまったこともあるし、「地球交響曲」という映画を観に行って眠ってしまって、ポレポレ村長に「映画代もったいない」と言われたエピソードもあります。
「だって映画観ていたら、とっても気持ちよくなってきて・・・」と言い訳すると、逆に龍村仁監督に喜ばれたというおまけつきです。
さて、前置きが長くなりましたが、ポレポレ村長が今朝は珍しく、「へんな夢を見た」と話してくれました。
マラソン大会で走っていたら、いつのまにかコースが変更になっていて、一人で走っていたのだそうです。そりゃ、焦ったでしょうねぇ。
「平然としているけど、さすがにやはり心のどこかに不安があって、それが夢になったのよ。」
キリコさんの夢分析でした。
いよいよウルトラマラソンが近づいてきました。全国のランナーたちも、気持ちは四万十にとんで、荷物の準備をしていることでしょう。
ポレポレ村長のゼッケンは、1381番です。
10月9日(日)曇り 海辺の楽園
お誘いをいただいて、海辺で焚き火を囲んでのお食事会、とても楽しかった。
オカダさん一家、メイさん、お医者さまのヒロシさん(ポレポレと同名、漢字も同じ、海や川が大好きなのも同じ!)、私たち夫婦。初対面なのに、まるで昔からの友達のようにわいわい。
海に潜って取ったばかりのハマグリ、焚き火で炊いた雑穀ご飯、オカダさんご夫妻のこだわりのお料理やワイン、ヒロシさんのオーストラリア土産のヘネシー、その上に近くで釣っていた地元の人が、鯛を2匹くださってすぐ網の上で焼いた。鯛は網の上でピチピチ跳ねていたもんね。
暗くなってオカダさんのヴィラにもどってからも、手作りのデザートをいただきながら、またわいわいわい。話題はとどまるところがない。
お部屋も拝見したけど、海辺を見下ろす眺めは最高。ベッドに横たわったまま、朝陽夕日が眺められるのだという。
バリで暮らしたことのあるオーナーの趣味が、いろんなところで生かされていてとてもステキ。なんだか別世界みたいな海辺の楽園だった。
ここは土佐派のお部屋。大きなテーブルにバリのランチョンマットがステキ。
10月7日(金)晴れ 県展と巡回展(ひみこ)
今日から高知県展が開幕です。
キリコさんが、「年に一日だけ、ポレポレが私よりも早く起きる日」と笑う、新聞発表が昨日ありました。ポレポレ村長の写真は、今年も入選でした。
どんな写真なんでしょう? 会場の「かるぽーと」に行って観るのが楽しみ・・・と話していたら、いち早く観に行ってきた人から電話がかかりました。
「足音が入ってますよ」。みなさん本当に親切です。
10月16日からは、いよいよNHKの全国巡回写真展も開幕です。
高知県には、来年1月5日から1月15日までやってきます。みんなで観に行きたいね、と話しています。
大阪は10月30日から11月6日だから、もうすぐですね。場所は、NHK大阪放送局内BKプラザです。
兵庫は11月12日から11月21日。HNK神戸放送局内オープンスタジオです。
東京は12月13日から12月24日。NHK放送センタースタジオパークギャラリーです。
あとはえーと・・・、ついでに10月の予定を書きましょうか。
10月16日から10月30日、茨城県水戸放送局内ギャラリー
10月17日から10月23日、札幌放送局ロビー
10月26日から11月2日、横浜情報文化センター1F情文プラザ
お近くのみなさん、よかったら観てくださいね。
10月6日(木)晴れ 抜き菜(ひみこ)
畑はいま、キリコさんの好きな抜き菜の季節です。
9月17日に種蒔きして、もう食べられるのだから、野菜って本当にいいですねー。
プランターでも何でも、とにかく土さえあれば野菜を育ててみることをオススメします。
芽が出て育っていく楽しみ、収穫して10分もたたないうちに食卓に乗せることができる新鮮なおいしさ、おまけに花も楽しめる。
野菜の花をめでるのは「はーと・らいふ村」ぐらいしかないのかな(笑)
間引きながら食べる抜き菜は、柔らかくて青々していて、生でもおひたしでも何でもおいしい。
熱々ご飯の上に乗せたら、もう何もいらないという感じです。
夕方の庭。キリコさんは帰宅するとすぐ「どれを抜こうかな?」と見回りです。
10月5日(水)雨 海癒
「海癒」のオカダさんから、「はじめまして」のメールをいただいた。とってもうれしい。
紹介してくださったのは、メイさんだ。ありがとう。
土佐清水市に住んでいて、自然や隣人との共生をコンセプトに「村創り」をすすめている方だ。
メイさんからオカダさんの話を聞いたとき、「あらー、私たちとよく似ている」とびっくりしたものだ。もちろん、だからこそメイさんも紹介してくださったわけだろう。
いつかきっと出会うときが来る人たち・・・なんとなくそんな気がしていたオカダさんだったのだ。
まず、人生のテーマが同じ「豊かさって何だろう」。
自然に癒されると感じる心も、自然と一体化した循環型のライフスタイルも、自然素材の土佐派の家も・・・結局根っこのところが同じだから、方向も似てくるのは当然か。
でも、スケールの大きさや理念の確かさ、着々と具体化する実行力、パソコンの技術・・・全部、私たちとは段違い。
すごいなぁ、こんな人がすぐ近くにいらしたんだなぁと、尊敬してしまった。
のんびり「ポレポレ」の私たちだけど、オカダさんからいっぱい刺激を受けたい。
ポレポレが撮影した大岐の浜。オカダさんの愛する海だ。
10月4日(火)曇りのち雨 親友
大阪から親友が帰省した。1人で大方町に住んでいるお母さんが、入院したらしい。
高齢者の1人暮らしは珍しくないけれど、いつ何があるか分からない。離れていればなおさら心配だろう。
彼女とは中2でクラスが一緒になった。すごく仲良くなって、中3でも同じクラスになりたいと、2人で担任にお願いに行った。5クラスあったのだ。
念願叶って中3でも同じクラスになったが、卒業と同時に大阪に行ってしまったので、以来ずっと離れて住んでいる。
でも、年に一度はどちらかが訪問したり、ある歳までは誕生日には歳の数だけバラの花を贈りあっていた。あまりにも本数が多くなってきて、別のものになったけど・・・(笑)
明るく元気で優しくて、しゃべりだすと止まらない子で、無類の世話好き。
彼女と話していると、中学生の時から少しも時間がたっていないような錯覚を覚える。
私は毎日、多くの中学生から相談を受ける。それぞれの胸にあふれる、悩みや想い・・・。
私は1人で生徒は多数だから、どうしてもかち合ってしまって、なかなか時間の配分が難しくなってきている。
「予約とってください。後から来たら、名前を書いておくように、ドアに紙を張っておいてください」
「何それ? 病院みたいじゃない」と笑って聞いたけど、冗談なのか本気なのか分からない。
今、子どもたちの多くは、「ほんとうの友達がいない」と言う。
いつもいっしょにくっついて、楽しそうに笑いあっているのに、心から信じているわけではないと・・・。少しさみしい話。
中学時代に、一生付き合っていける親友と巡り合えたのは、しあわせなことだったんだ。
10月2日(日)晴れ ガレージショップ(ひみこ)
みんなの作品を常時展示しておく、「ガレージショップ」が昨日オープンしました。
場所は、もと工房ポレポレだった所。別棟に工房を新築した時に、空いた場所を洋室にリフォームしていました。
そこをみんなの「ガレージショップ」として使うことになったのです。
流木の小さな看板も付け、ところ狭しと作品も飾られ、いい感じのショップになっています。
まだまだこれからですけどね。とにかくスタートすることに意義があるのかも。
今日はばあばちゃんと、草子さんがメープルハウスのケーキを持って来てくれました。
「ひみこさん、何かを始めるって、人を元気にすると思わない?」とキリコさん。
「そうそう、何でもいいのよね。子どもたちには何か大好きなものを見つけて、元気になってほしい。Iちゃんの後に続いてほしい」と、真剣な顔で草子さん。
Iちゃんは今年の「第12回チャリティー野の手仕事展」で、作家デビューすることになっています。
ビーズや天然石、ヘンプのアクセサリーを作ることで自信を持ち、堂々と個人名も出して、参加するのです。
大人たちはみんなうれしい。みんなでIちゃんを盛り立て、応援したいと思っています。
自分のためじゃなく、子どもたちのためと思うと、よけい元気が出る仲間たちです。
そして、もう一つ・・・とっても貴重なものが加わることになったのだけど、それはもう少し先でお話しますね。
10月1日(土)晴れ スズメバチとゴータマ(ひみこ)
「はーと・らいふ村」の庭は、今、秋の収穫の時期です。
お芋、ピーナッツ、柿、いちじく、かりん、ブシュ柑・・・、栗は少し離れた果樹園なので、そちらに採りに行きます。
先日みんなで栗拾いに出かけたら、大きなスズメバチがぶんぶん襲ってきて、あえなく退散するハメになりました。
今年はスズメバチが異常発生しています。道端にペットボトルを利用して誰かが作った、「スズメバチ捕獲器」をつるしてましたけど、中に何匹もスズメバチが入ってました。
「スズメバチがいなかったら、栗ご飯が食べられたのに・・・」、しばらくキリコさんがぼやいていました。
代わりにお芋ご飯を炊いて、みんなで「おいしい、おいしい」と食べましたが、ただ1人村の長老(キリコさんのお父さん)だけは、「芋飯はまずい」と嫌がっていました。
きっと戦争中を思い出すのでしょうね。
キリコさんは雑穀ご飯も好きで、東京の「未来食の店・ふう」にも行ってきました。
以前、アマランサスも栽培していたように、あわとかひえとかも興味を持っています。
玄米菜食を基本にした粗食が、健康には一番いいと思います。
それにこだわってしまうのではなく、ときにはおいしい店で外食もするし、ときには手のこんだ料理もするし、ときにはみんなで料理を持ち寄ってパーティーもする。
・・・というわけで、今日は四万十市のインド家庭料理の店「ゴータマ」に行ってきました。
ひき肉と豆のカレー、ナン(プレーンとバターと2種)、タンドリーチキン、ラッシー、チャイ・・チャイは少し日本人向けの味にしていましたが、あとは全部満足。おいしかったです。
銀の器がステキでした
2005年9月の暮らし
9月27日(火)晴れ 食べること(ひみこ)
朝晩めっきり肌寒くなりました。すばらしい秋の空が広がった一日、キリコさんや草子さんや仲間たちが集まって、ボランティアの会がありました。
久しぶりにIちゃんもお母さんと来て、にがりさんの友達の○さんもお母さんと参加してくれて、わいわい。
とってもおいしい鯛のごまドレッシングかけを習って、楽しいひとときを過ごしました。
講師の先生は、日本料理名人さん。とびきりおいしい味噌汁も、だしのとり方から丁寧に教えてくれました。
今は味の濃いものが主流になっているけど、化学調味料を使わないでこんぶと鰹節でちゃんとだしを取ったものが本来の味なんだという説明に、みんなしきりにうなづいていました。
そのだしを持って帰って、鯛のおかしらとアラを入れて味噌汁を作りましたが、自分でも「おいしい!!」と叫んでしまったほどです。
私たちの会は、食べることをとても大切に考えています。生きることの基本ですものね。
いい仲間とおいしいものを食べるのは、ほんとうに幸せ。
料理が得意なばあばちゃんが、いちじくのコンポートも作って持ってきてくれていましたが、赤ワインで煮詰めた味は素人ばなれしていました。
キリコさんは「私もよくコンポートを作るけど、どうしてばあばちゃんのはこんなにおいしいの?。うちのいちじくがまずいのかしら」と質問攻め。
「皮がついたまま煮てみて。赤ワインも忘れないでね」と詳しくアドバイスしてもらっていました。
お料理が得意な人って、いいですね。周りの人を幸せにしてくれます。
9月26日(月)晴れ 卵を産み始めた
やっと鶏が卵を産み始めた。うちのお米と野菜を食べて産んだ、健康な有精卵だ。
そろそろかなと思って、ポレポレに魚の木箱で卵産み場を取り付けてもらい、籾殻を敷いてクッションにしてから2ヶ月くらいたったと思う。
卵は産まず、籾殻はさんざん蹴散らしてしまって、雄鶏まで箱に上がって遊ぶしまつ。
今度はレモングラスを丸く輪にして、巣のように箱の中に敷いて待っていたら、今朝かわいい卵が1個、ちょこんとあった。
記念すべき第1号を写真に撮って、ポレポレが卵かけご飯にして朝食を食べた。
明日の朝もきっと産んでいると思う。父が卵かけご飯だ。
ちなみに私は卵かけご飯は食べない。私の番がきたら、玉子焼きにしよう。
ポレポレ愛用の茶碗は、ベトナムから買ってきたお気に入りバチャン焼き
9月25日(日)晴れ 最後の運動会
地元馬荷小学校と校下民合同運動会があった。今年、最後の運動会という。
ここ10数年行ったことがなかったので、ぜひ行ってみたいと思ったが、高知市でだいじな会がありあきらめた。
現在の馬荷小がある土地は、うちの畑だった。そこを譲った代わりに、旧学校跡地に「はーと・らいふ村」ができたわけだ。
だからというわけではないが、毎年運動会の「夢の宝くじ」では、父は1等をよく当てる。
「夢の宝くじ」は地域から寄付を集めたときに1枚の宝くじを渡され、多くの校下民に参加してもらうための工夫だと思うが、賞品が用意されているのだ。
朝、4時30分からお寿司を作り、お弁当や飲み物を用意しておいて、私は7時に高知市へ。
夕方帰宅したら、「今年は2等だった」と言って、非常時の携帯ラジオをもらって帰っていた。
児童数8名ということで、統合は時間の問題だと思っていたが、それにしても急だった。
明治8年に創立、私が小学生だったときは100人くらい生徒がいた。
新聞で校歌を公募していると知って、応募したら採用された。
長年後輩たちが歌ってくれたあの校歌も、来年3月でおしまいだとふと気がついた。
県展に初めて入選した60号の洋画も、寄贈したので玄関ホールに飾ってくれている。
あの絵はどうなるのかなぁ、そんなことも浮かんだ。
休校になる前に、もう一度小学校に行ってみたい。ポレポレに写真を撮ってもらっておこうかな・・・、そんなことも考えている。
9月23日(金) 晴れ 四万十川をカナディアンで下る
朝7時に我が家をそれぞれの車で出発。
私の車は赤鉄橋の河川敷に置いて、ポレポレの車にレンタルしたカナディアンを乗せて江川崎へ。
江川崎のカヌー館の下から四万十川の赤鉄橋まで、二人で下ろうという計画だ。
車で走っても40キロはある。川は蛇行しているから、もっと距離があるだろう。
ポレポレは同じコースを自前のファルトボートで下ったことがあり、「9時に出発すると、まあ3時か4時には着くでしょ」と言っていたのだ。
ところが、これは無謀な計画だったことを、じわじわ悟るはめになった。
カナディアンは広くて荷物もたくさん積めるし安定もある。そのかわり重くて進まないのだ。
私は初めてのカヌー。パドルを握るのもこぐのも、生まれて初めて。
なのに練習もなく、いきなり「さあ乗った、乗った」で、「後ろから右、左と言うから、その通りこいで。万が一沈しても、絶対にパドルを放さないでね。パドルが無くなったら、もうどうしょうもないからね」と言われて出発した。
江川崎を出て5分もしないうちに、最初の試練がいきなりきた。
急な瀬、逆巻く波。カナディアンはもろに水をかぶり、私はパニックになって右か左か分からず必死でこいだ。
ポレポレは「あーあ、カメラが水びたし」と悲鳴をあげて2台のカメラをタオルで拭こうとするが、そのタオルもびしょびしょ。
防水バックから乾いたタオルを出して渡しながら、こんな恐怖を何度味わうのかと想像するだけで後悔がわく。
実際、何度も瀬がやって来た。その度にポレポレが鋭い声で、「右、右!」「左早くこいで!」と後ろで叫ぶ。
無事通り抜けると「よっしゃー」とまた叫ぶ。こんなに夫婦で必死で力を合わせるのは、初めてのことではないだろうか。
難しい流れでは下手にこがず、私は体を縮めてパドルを水面につけないようにカヌーに両手でつかまった。
ようやくパドルにも慣れ、周囲を見渡す余裕もできた。
やはり川から見る四万十川は、広い!! これで水量が減ってきたというのだから、昔はどれほどの大河だったことか。
先日の台風14号の爪跡はいたるところに残っていて、10メートルも上の山の木々にたくさんゴミがひっかかっている。信じられない光景だ。
巨木が根こそぎ倒されていたり、水路のパイプを修繕している人たちにも何度か出会った。
鮎の友釣りをしている人、網を投げている人に、「こんにちはー、今年はどうですか?」「いやぁ、あんまりおらんねぇ」。
小さな川魚はいっぱい見たし、水面にぴょんぴょん飛び上がっている魚も見た。
佐田の沈下橋のあたりでは、ぼらも泳いでいた。海からこんなところまで上ってくるのだ。
沈下橋のたびに、ポレポレが後ろから写真を撮った。
橋の上からは中村写真協会のポレポレの写真仲間3人が、レンズを向ける。
携帯でずっと連絡を取り合いながら、「今、○○。もうすぐ岩間の沈下橋」などと知らせると、そっちに行ってカメラアングルを決めて待っている。
一昔前だったら、こんなことはできなかったろう。携帯はやはり便利だ。
四万十市の赤鉄橋が見えてきたときは、本当にうれしかった。
写真仲間がアマンドのおいしいケーキを買って待っていてくれて、赤鉄橋の下で「完走おめでとう!」と祝ってくれて食べた。
結局5時20分到着。8時間20分もパドルをこぎ続けたことになる。
休憩らしい休憩はとらず、お弁当も交替でカヌーの上で食べた。
喫茶店にカナディアンを戻しに行ったら、マスターが「どこから下ってきた?」と聞いたので、「江川崎から」と答えると「それでこの時間に帰ってきたの?!」と目を丸くしていた。
レンタル料金1万円を払ってその店のチラシをもらって見たら、「3時間で6キロ」と書いてあったのに、私たちは時速5キロ以上でこいだのだった。
マスターがもしも同じ質問を朝していたら、きっと「江川崎だって?! 無理、無理。もっと近くから下ったほうがいいよ」とアドバイスしてくれていたに違いない。
トイレのため止まったのは、ポレポレが1回。私は川原でなどできず、今日は一度もトイレに行かずに6時20分に帰宅して真っ先に走った。
なんだかすごい一日だった。自分でもこんなに体力があるとは思ってなかった。
めったに私を誉めたことがないポレポレが、「けっこう体力あるやん、上等上等」と夕飯の時ぼそっと言った。
いや、そう言うあなたには負けますわ。だって、明日朝また江川崎の出発地点まで、こんどは自宅から走って車を取りに行くと言うんだもの!!。
写真はこれ以外全部背中しか写ってなかった。まあ当たり前だけど。
9月22日(木)晴れ ボランティア(ひみこ)
キリコさんはNPOの会があって四万十市へ。そのあとイベントの打ち合わせに行って、「日本料理教室」と「チャリティー手仕事展」の企画を話し合ってきました。
NPOのほうは、高知市の会社「太陽」さんからゆずってもらったパイプ椅子の使用状況についてでした。
ボランティア活動は大勢の人に助けてもらっています。企業から不要になった机や椅子やロッカーなどを譲ってもらい、教室で生徒たちが使っているのです。
物品だけでなく、いろいろなイベントで会場を提供してくださるヨンデンさんも、ありがたい企業の協力のカタチだと思います。
今年もチャリティーの手仕事展を、昨年と同じヨンデンギャラリーで行います。
ボランティアの作品だけでなく、親や生徒たちの作品も加わって、今年もまたいろいろな交流の場としても楽しんでいただけると思います。
明日はカヌーで四万十川下りです。飲み物、お菓子、着替え、地図、カメラ・・・もちろんお弁当も忘れずに。
沈しないように、無事に赤鉄橋まで下れるかな?
2人乗りカナディアンで下ります
9月20日(火)晴れ 後期稲刈り(ひみこ)
今年はことのほか残暑が厳しいですね。毎日30度を超えています。
先日種蒔きした秋の野菜たち、もう発芽しています! こんなに早いとはびっくり!
「はーと・らいふ村」では、昨日今日と続けて後期の稲刈りでした。ヒノヒカリです。
キリコさんから聞いてはいましたが、ほんとにトンボが多いこと!
数百匹はいると思います。すばらしいスピードで飛んでいるのに、ひょいと身をかわして決してぶつからない。人間だったら絶対ぶつかっているというくらい、飛び廻っています。
バッタもカエルもぴょんぴょん無数にいます。野うさぎを期待していましたが、今年は小さな薄茶色のねずみが出てきました。
パッと見ただけで、ポレポレ村長がなんとかねずみと種類を教えてくれました。こういう知識が、ポレポレ村長は本当にすごいのです。
これって、学校で習う知識ではないですよね?
今年初めてお芋も掘りましたが、大きいものは25センチくらいに成長しています。
まずは圧力鍋でふかしていただきました。土佐紅特有の紅色の皮を剥くと、ホコホコの甘いお芋でした。
芋天にしたり、スィートポテトやパイに焼いたり・・・もう少し寒くなったら、焼き芋にして食べたいな。もちろん芋ケンピも!
エノコログサに秋の月
9月18日(日)晴れ 全力を出し切る(ひみこ)
スポーツを観戦して感動するのは、そこに少しもごまかしが無いからでしょうね。
ましてや子どもたちは、自分の全力を出し切って戦い、涙する。まさに全身全霊をふりしぼっているので、見ていて本当に感動します。
今日は運動会でした。天気にも恵まれ、いろいろな競技がとてもみごたえのあるものばかりで、いい一日でした。
中には「アンコール」の声がかかったものもあって、女子の応援は2回やりました。運動会でこんなことは初めてです。
最後は多くの生徒が満身創痍の状態で、死力を尽くしていました。あれだけがんばったら、体のあちこちが痛くなっても当然かも知れません。
100キロマラソンにも通じることですが、自分の力の限りを試してみる、スポーツではとても明確に結果が出ます。
勝っても負けても、全力を尽くしたことによる満足感で、今夜はきっと熟睡だと思いますね。
スポーツだけでは無いのかもしれません。演奏も創造も何でも・・・、これ以上努力のしようがないという、ぎりぎりまで頑張ってみることが大切かなあと思います。
「生きた」実感というのは、そんなところにあるのかも知れません。
女子応援のはっぴは、船の大漁旗でぬったものなのが、いかにも港町ですね。
9月17日(土)晴れ 野菜の種蒔き(ひみこ)
吹く風もすっかり「秋」。マンジュシャゲが道端に咲き乱れています。
そういえばもうすぐお彼岸なのですね。
「はーと・らいふ村」は秋蒔き野菜のシーズンで、ポレポレ村長が庭をトラクターでたたき、畝をいくつも作りました。
蒔いた種は、サニーレタス、チンゲンサイ、春菊、大根、人参、はくさい、つるなしスナップ、一寸そら豆。
これから球根類やハーブの種、果樹もたくさん植える予定で、忙しさもうれしい季節です。
キリコさんは今日、生徒に「エギを持ってる?」と質問されたとか。
「私、ネギかと思っちゃったわよ。そしたらエギも知らんのかって、軽蔑のまなざしだった。」
イカ釣りの道具だったそうで、キリコさんが何も知らないのであきれて、生徒が「僕のをあげるわ」と言ったとか。
ネギと間違えたのは、いかにもキリコさんらしい話。
おまけに「イカの墨とタコの墨の違いが分かる?」と聞かれて、それもちんぷんかんぷんだったとか。ますますあきれられたことは、言うまでもありません。
9月14日(水)晴れ ふるさと小包(ひみこ)
お米を送ったアドラーさんから、お礼のメールが届きました。
「ふるさと小包みたい」とうれしい言葉を書いてくださっていて、あーそんなのが理想だなぁと、言われて改めて気づきました。
田んぼでお米を育てる人、そのお米を食べてくださる人、お互いが顔の見える関係で、どんな景色の中でどんなふうに育ったか・・・つまりお米のふるさとがご飯の向こうに浮かぶのです。
「お米の注文のお客さんは、まだ会ったことが無い人が多いんだ」とポレポレ村長が話してくれました。
「それでも何度もその住所と名前を書いていると、なんだか親戚の人のような気がしてくるのよね」とキリコさん。
最近は注文のメールに「来月出産予定です。3人目です」とか近況を書いてくれる人もいて、一層そんな気持ちが強くなっているようです。
「はーと・らいふ村」の棚田で無農薬でお米を育てるようになって、もう10数年。
だから、最初のお客さんとのつきあいは、いつのまにかそれほど古くなっているわけです。
伊野町の「天秤屋」さんという、無農薬の食品を宅配しているお店でした。
毎月籾で買って帰って、玄米にして販売していました。子どもさんの喘息から環境や食べ物のことを考えるようになったのだそうです。
高知市や南国市から「素人が耕す会」(しろたが会と呼んでいました)のメンバーが、毎月「はーと・らいふ村」にやって来ていたのも、10年以上も昔の話になりました。
最近、ポレポレ村長とキリコさんは当時をなつかしがって、よく話をしています。
10年たって、もう一度メンバーと何かできないかなぁ、手仕事展とかやりたいねぇ、と二人は夢見ています。
中期の稲刈りももうすぐです。台風来ませんように・・・。
9月11日(日)雨のち曇り ターシャ・テューダー(ひみこ)
晴れていれば楽しい計画があったのですが、雨でお流れ。
みんながっかりする中で、1人うれしそうだったのがキリコさんでした。
「ターシャ・テューダーの鑑賞会に切り替えましょう!」
ターシャはキリコさんが20年来あこがれ続けている女性です。
アメリカのバーモント州に住んでいて、自然と共生しながら絵を描いているおばあさん。
キリコさんにターシャを紹介したのは、高知県を代表するデザイナーの典子さんでした。
そう「ほにや」の泉さんと並んで、教祖さまみたいな存在の「アハナベック」のオーナーです。
ターシャ熱が伝染したキリコさんも、それからことあるごとにみんなに紹介しています。
NHKが2時間の特集を組んだのも、全国にターシャファンが増えているからでしょうね。
「幸福とは、心が充たされること」
「死さえ恐いとは思いません。つまり、人生に悔いがないということでしょうね」
「価値のある良いことは、時間も手間もかかるもの」
「人は自分がおかれている立場をすぐ状況のせいにするけれど、この世で成功するのは、立ち上がって自分の望む状況を探しに行く人、見つからなかったら創り出す人です」
最後の「 」はターシャの座右の銘だそう。だから本や番組のタイトルも「楽しみは創り出せるものよ」なのですね。
90歳の今もターシャは、夢に向かって生き生きと暮らしていました。ポロポロの服を着ているのに、すごくステキで輝いて見えました。
同じ短い一生を生きるなら、ロボットや歯車のように動かされるのではなく、一刻一刻を心をこめて暮らしたいと思わずにはいられません。
9月9日(金)晴れ NHK巡回展(ひみこ)
今日、NHKからポレポレ村長の取材がありました。
来年のカレンダーの入賞作品の、巡回展覧会が全国で開催されるのです。
展示のとき短いコメントが添えられるということで、いろいろ聞かれました。
取材を受ける中で得た情報もあります。
まず、田んぼの写真は応募数がとても多かったということ。日本は瑞穂の国だから、田んぼは原風景なのでしょうね。
そして、年齢としては若いほうだということ。ベテランが多かったんだ。
激戦の中で今回金賞を得たことは、本当に幸運(?!)でした。
「お仕事は?」
「家具を作っています」
「あら、じゃあ写真とは直接関係ないのですね。写真を始めるきっかけは何だったのですか?」
「はぁ。家具の写真を撮ろうと思って、カルチャー教室に行ったんです」
「そうだったんですか。経験年数は何年くらいですか?」
「5年です」
「受賞作品を撮られたときのことを、お聞かせ願えますか? やはり撮ったときに強い手ごたえのようなものを、お感じになったのでしょうか?」
「いや、あれは・・・よさこい祭りの撮影に行った帰りだったんですよ。たまたま陽があたった田んぼがとてもきれいだったんで・・・」
ポレポレ村長らしく、朴訥に正直に答えていました。
全国巡回の日程が分かったら、またお知らせします。
ポレポレ工房のテーブル。9月6日発売の雑誌「和風が暮らしいい」に出てます。
9月6日(火)台風14号暴風雨
毎年毎年、高知県は台風には慣れているとはいえ、今回はかなりの激しさと長時間だった。
今日は一日中、嵐の音を聞きながら家の中で過ごした。
昨日仕事の帰りにスーパーに寄ったら、食料を買い込む人であふれていた。
「明日は寝るしかないわ」という会話も耳にした。
寝るなんてとんでもない。嵐の日も家の中でやることはいっぱい。
頼まれていた原稿書き、教材研究などなど。その間に電話が鳴る。
最初は図書館のミキちゃんから。「キリコさん、べーグル焼いているところなんだけど、古代米を煮たらいい色なの。確か古代米でも染められるんでしたよね?」という問い合わせ。
おお、同じ精神の仲間よ。(笑)
染め方はアドバイスできるが、古代米のべーグルなんて焼いたことがない。おいしそっ、教えて!
とミキちゃんにレシピをねだった。
次はリチャード夫人から。おむすびの炊き出しで忙しそうだったが、話し出すととまらなくなって、いつも一時間以上話してしまう。
「庭のミモザとパパイヤが危ないの」と、リチャード邸の実況中継。
うちもアーチが倒れ、庭の草花もなぎ倒されて、ミモザもおじぎしている・・・と話した。
ミモザは上部が繁って風雨をまともに受けやすいのか、毎回倒れてしまう。
ひょろひょろしているユーカリのほうが、柳のようにしなやかに倒れない。
草木だけでまだまし。今回は家もミシミシ揺れている。今、午後4時だけど、一番ひどい感じだ。
自然の猛威の前にはなすすべもないけど、どうか被害がこれ以上多く出ませんように・・・。
この夏から仲間入りしたガガブタ。名前に似合わない花でしょ?
9月4日(日)雨 手仕事展の計画(ひみこ)
ポレポレ村長は、一日中どろんこサッカーの撮影へ。
キリコさんは頼まれていた染め教室へ。台風の影響で雨が激しく、心配しながら出かけました。
でも、熱心な参加者のみなさんと楽しい時間を過ごして、ほっとして帰ってきました。
教室には病気と闘っている人もいて、「○○さん、来てた?」とポレポレ村長も気にかけていました。
「うん、来てた。元気そうになっていて、よかった。」
教室の参加者のみなさんは、よく村を訪ねたいと言います。フエさんも、きっかけは教室のあとついてきたことからでした。
突然のお客さまもいます。先日は「新聞で見て、心に残っていたのです」と、遠くから探して来られた御夫婦でした。
「次の手仕事展のときは、お知らせください」と、名刺を渡して帰られました。
「そういえば、そろそろ手仕事展の季節ねぇ」のんびりした二人は、やっと気づいたみたいに計画を立て始めました。
今年は新しいメンバーも加わって、展示と教室の両方をやりたいと話しています。決定しだい、お知らせしますね。
庭はヒメトラノオの季節です。
9月2日(金)晴れ 「はーと・らいふ村」の朝と夜(ひみこ)
朝は5時30分頃、雄鶏シローの「コケコッコー」の歌声から始まります。
シローは4月に村に来て、2ヶ月くらいから歌い始めました。
最初は歌ったり歌わなかったりでしたが、まもなく毎朝欠かさず歌うようになりました。
その時間には家の中は、香ばしい匂いがいっぱいに漂っています。
ご飯だったりパンだったりいろいろですが、とにかく匂いで始まることには変わりありません。
キリコさんは、朝シローの歌で目覚めて、香ばしい匂いの中をトントンと階段を下りて行く時が、一番幸せを感じると言います。
パンを釜から出して、冷ましている間にコーヒーを沸かし、玄関に新聞を取りに行きます。
一日の始まりのつかの間の静寂。やがて、朝陽が差し込み始めると活動開始です。
「至福の時間」例、もう一つは、夜眠る時。
一日が終わって、おひさまの匂いのシーツの上でおもいきり手足をうーんと伸ばす。
虫の音が涼やかに響き渡り、窓から月が見えれば最高! ベッドから眺める山は、黒々としたシルエットで夜空に浮かんでいます。
静かな静かな「はーと・らいふ村」の夜が更けていきます。
一回に1.5斤のパンを焼きます。今日はシナモンパン。
2005年8月の暮らし
8月27日(土)晴れ 蓮で染める(ひみこ)
今日はみんなであるお寺に行ってきました。
車で1時間30分ほどのところにあるお寺ですが、キリコさんが住職さんから「蓮で糸を染めてほしい」という依頼を受けたからです。
「蓮? 一度も染めたことないけど、おもしろそう!」
なんでもやってみたがるキリコさんは、即OKでした。
お寺の入り口付近にある田んぼに、古代蓮がたくさん咲いていました。
種になったのは、それはそれで形がおもしろくて、「はーと・らいふ村」でも古代蓮を育てることにしました。
幸い近くに遊んでいる田んぼもあります。ポレポレ村長も「そうだ、あの田んぼがいいね」とすっかり乗り気です。
帰宅するとキリコさんはさっそく、蓮を煮て染め液を採り、シルクストールと綿ローンのハンカチを染めています。
シルクはとても渋いひわ色に染まり、綿ローンは淡い黄色に染まりました。媒染はミョウバンです。
蓮は生のまま使いましたが、ドライにするとまた違った色になるでしょうし、銅や鉄で媒染するとどんな色になるのでしょう。
染めあがった糸は、ロス在住のT氏がデザインして織る予定だそうです。
写真でお家や織り機、作品が掲載された雑誌などを拝見しましたが、とてもステキな方でした。
古代蓮はとても生命力が強そう。
8月25日(木)晴れ 四国アイランドリーグとヤンキー先生(ひみこ)
午後からみんなで宿毛市に出かけました。
26年ぶりに宿毛市でプロ野球の試合が行われ、その観戦とヤンキー先生の講演会です。
高知ファイティングドッグスは、ピッチャーが地元出身とあって応援もにぎやか。
2-0で完封試合でした。
終了後、ずらっと整列して客を見送ってくれたのにはびっくり。サインや写真におさまるなど、ファンサービスも懸命でした。
6時からヤンキー先生こと義家先生の教育講演会へ。会場に着くと長い列ができていて、人気のほどがうかがわれました。
おいたちは本で読んでいたのでだいたい知っていましたが、ご本人の口から聞くとまた胸が痛むものがありますね。
両親の離婚で母親を知らずに育ち、家庭にも学校にも居場所がなく、いじめられっ子。誰も助けてくれないので、自分を守るために暴力をふるい不良と呼ばれ・・・高校中退へ。
1年間のひきこもりののち、北海道の北星余市高校へ。そこで安達先生と出会い、彼は初めて信じられる大人がいることを知るのです。
さゆみさんの本「優しさに出会って」もそうですが、まさに1人の教師との出会いが、その人の人生を変えていったのです。
先生だから当然と言えますが、話術がしっかりしているので聞きやすく、丁寧な語り口でした。
何よりも生徒が感動し、涙していたのが、うれしかったです。
義家先生は今、教師をやめて教育委員の仕事をしていますが、全国の悩める若者たちに影響を与えていることは、やっぱり「先生」なのだと思います。
12月には「夜回り先生」の講演会にも、みんなで出かける予定です。
整列して見送り。インタビューに答えるピッチャー。
8月21日(日)曇りときどき雨 さくら公園(ひみこ)
土佐清水市のさくら公園で、イベントがあり出かけました。
今年で2年目ですが、地元のみなさんがとてもいい方たちで、ポレポレ村長もキリコさんもすっかり楽しんでいる風でした。
「木工コーナー」「貝殻細工コーナー」「ヘンプコーナー」「木の昆虫コーナー」「さくら染めコーナー」などがあり、参加費を払うと昼食もついています。
おにぎり、焼きとり、ところてん、かき氷など、おかわりもOKでした。
毎年ポレポレ村長の木工教室は、子どもたちに大人気。キィーホルダー、森の時計、ベンチがメニューでしたが、昼食をとる時間もなく「おんちゃん」「おんちゃん」コールが続いていましたね。
自分で作ったペンダントを首にかけて、「ぼく、これ大好き!」と言っていた低学年くらいの少年がいました。
目を輝かせて、ほんとうに誇らしそうでした。手作りの喜びは、やはりこういうお金では買えないところにありますね。
みんなくたくたに疲れてましたが、いいイベントに参加できたうれしさは格別でした。
8月18日(木)晴れ ばんかんジュース(ひみこ)
今日もボランティア活動がありました。
四万十市の幼稚園の先生がお見えになって、いろいろお話を聞きました。
「昔はもっと悪がきっぽい生き生きした子が多かったけど、今は周囲に自分を合わせようとする子が多い」
「自然体験、生活体験が少なくなっているように感じる」
「子どもの本質は変わっていないのだけど、大人や社会が変わったことで、子どもも影響を受けているのだと思う」
キリコさんはしきりにうんうんとうなずいて聞いていました。
そして、「実は、小学校の先生からも、高校の先生からも、そっくり同じことをお聞きするのです。もちろん中学校でも同感する点が多々あります」と発言していました。
幼稚園の先生たちは、畑を借りて野菜を育てたり、自然のものを利用して遊具を作ったり、いろいろ努力されているそうです。
そういえばポレポレ村長の作品は、幼児に圧倒的な人気がありますね。思い出しました。
必ず近づいて来て、目を輝かせて手を伸ばすのです。どの子も必ず、本当に不思議です。
よちよち歩きの赤ちゃんだから、ただ自分の正直な感性のみで魅かれて近づくのだと思うのです。
プラスチックの精巧なおもちゃではなく、素朴な木の枝の椅子が、子どもの心に豊かな想像力をかきたてていることは間違いありません。
幼児期に「ほんものの環境がいかに大切か」、みんなで確認しあった一日でした。
休憩時間にキリコさんが、大月町特産の「ばんかんジュース」を出してくれました。
いただいてごちそうになったらあんまりおいしかったので、ぜひお味を・・・とのことでした。
ミショウ柑というみかんのジュースだそうですが、本当にさわやかで飲み心地がよくて初めての味でした。
9月までの季節限定だそうですが、これはぜひ買わなくちゃとすっかりファンになりました。
左がミショウ柑です。ブンタンに似ていますが、サイズが小さいし味は全然別。
8月15日(月)晴れ キス釣り大会優勝・大漁賞(ひみこ)
毎年8月15日には入野の浜辺で「キス釣り大会」があり、ポレポレ村長が出場しています。
これまでは2位が最高で、4位だったり7位だったことも・・・。
ポレポレ村長の性格からして、今年こそ1位をねらっていたのでしょうね。
みごと優勝、あわせて大漁賞も獲得したそうで、真っ黒な顔でにこにこしながら帰ってきました。
優勝の賞品は大きなクーラーで、大漁賞のほうはロッドケースでした。
さっそく夕食のおかずにキスをいただきましたが、優勝したキスは24.5センチ。2位との差は0.5センチだったそうです。
大漁賞のほうは匹数で勝負とかで、キスのほかにコチ2匹もまじっていましたが、まだ生きていました。
「コチはぶつ切りにして味噌汁にするとうまいよ」という一声で、キリコさんがすぐ味噌汁にしました。
キスは白身の上品な味で、コチはニラとも相性がよくておいしかったですよ。
15日はこれまた毎年の「花火大会」。今年はメイさん、圭さん一家、きねまんさん一家も初顔合わせだったそうで、「みなさんゆかた姿が決まってたわよ」とキリコさんが報告してくれました。
「来年は私も行きたいなぁ」と言うと、「ひみこさん、はーと・らいふ村のはっぴを作って、みんなで踊らない?」って。キリコさんはまじ顔でしたよ。こちらの賞品はビール券だそうです。
優勝を決めた1匹、分かりますよね?
8月14日(日)晴れ お盆(ひみこ)
2日連続のボランティア活動が終わり、今日からお盆休みです。
と言っても、お盆は親戚周りや来客が多くて、主婦は休みどころじゃありませんけどね。
特に初日は「初盆」の家に拝みに行くので、何軒も初盆だったりすると大変です。
迎えるほうはもっと大変でしょう。サワチ料理や刺身、タタキ、ソーメン、フルーツ・・・というのが定番でしょうか。
「はーと・らいふ村」はふつうのお盆なので、煮物とお寿司、果物、ゼリー、らくがんなどを祭りました。
お寿司はキリコさんがよく作ってくれるのは、卵の巻き寿司、サラダ海苔巻き寿司、いなり寿司などです。
裏庭のブシュカンの酢を刻んで入れるので、香りがとてもよくておいしいですよ。この季節はいなり寿司の具に、芋のつるを刻んで入れてもおいしいですね。ぜひお試しあれ。
明日15日はポレポレ村長はキス釣り大会。夜は海辺の花火大会です。
夏はイベントがいっぱい(ポレポレ村長撮影)
8月12日(金)晴れ ボランティア(ひみこ)
今日、「はーと・らいふ村」では、ボランティア活動がありました。
朝行ったらキリコさんが、「ひみこさんって何者? って問い合わせがいっぱーーいあったわよ。うふっ」とうれしそうに笑いました。
自称「おもしろがり屋」というキリコさんだけあって、すっかり楽しんでいます。
私も草子さんも、キリコさんがやっている「子どもの自立支援活動」のボランティアの1人です。
掲示板のさゆみさんもその1人ですし、「野の手仕事仲間たち」の作家さんたちもほとんどがボランティアとして加わっています。
いろいろな人が講師になって、活動をみんなで楽しみ、交流によって支えあいたいというのが、キリコさんの願いです。
私はボランティアは初めてで、最初は子どもたちの役に立てればいいなという気持ちでした。
でも、途中で気がつきました。ボランティアって自分のためなんですね。自分が得たものがはるかに大きかったし、いろいろな人々との出会いが私の財産になっています。
これからのイベントは、21日(日)に土佐清水市のさくら公園で、木工や染めの教室があります。みんなで参加する予定です。
合い間をぬって「ガレージギャラリー」の準備を、少しずつ進めています。
実物は目が覚めるようにきれいなシルクのタンクトップ。大正時代の着物のリメイクです。
8月11日(木)晴れ ご挨拶(ひみこ)
みなさま、こんにちは!
今日から管理人をバトンタッチした、村人2号のひみこです。(ちなみに1号は草子さん)。
ポレポレ村長、キリコさんに代わって、私たちがホームページやチャリティの企画を担当しますので、どうぞよろしくお願いします。
今日もとても暑い日でしたが、ポレポレ村長はさっそうと単車で「よさこい祭り」の撮影へ。
キリコさんは「図工クラブ」の研修会に出かけました。
夕方、「メイさんのおかげで、久しぶりに藍染めの師匠にも会えたし、リチャード夫人やばあばちゃんにも会えて、よかったーー。人との出会いって、ありがたいよねぇ」と大喜びで帰ってきました。
県内では一番本格的に藍染めをされているというM先生の作品を見せてもらいましたが、キリコさんが絶賛するとおり、藍の色が深くてとてもきれいでした。
M先生は藍葉を100日間もかけて醗酵させたすくもに、わざわざ土佐清水市の上質の木の灰を溶かし、日本酒や石灰でふたたび醗酵させた藍液を作っていらっしゃるそうです。
水を入れてサッと溶いた合成藍とは、全然違って当然ですよね。
「ひみこさん、藍って虫除けや殺菌効果があるんですって。だから昔から農作業などで、毒蛇などから身を守る役目もしていたそうよ。体にも地球にも優しい染色よねー」
キリコさんの解説(?)はもっと長く続いたのですが、詳しくはリンクのM先生のホームページをごらんくださいね。
写真は上の2枚がM先生の新作。一番下のチェックが、M先生に教えていただいたキリコさんの作品です。
本人いわく、「おしゃべりに夢中になって、染め時間を忘れてしまって失敗した」とのこと。
ティーマットの布もM先生の織りで、先生のホームページで作品の購入も可能です。
8月9日(火)晴れ 管理人の交代
みなさん、長い間キリコの「村便り」を読んでいただき、本当にありがとうございました。
パソコンオンチの私。文章もひどくて読み返すと苦笑ですが、こんなに長く続くとは思ってもいなかった。みなさんのおかげです。
だいぶ前から、友達のひみこさんと草子さんに「管理人やってみん?」ともちかけていたのですが、今回ひみこさんに狙いを定めてウムを言わせず押し付けました。
もちろん、草子さんも手伝ってくれると思いますし、キリコもできるだけ掲示板に書き込みたいと思っています。
ひみこさんは私以上にパソコン苦手意識が強いのですが、すぐ慣れると思いますので、みなさんこれからどうぞよろしくお願いいたします。
8月2日(火)晴れ 変わらない風景
早期コシヒカリの稲刈りをした。
炎天下に行われる早期米の稲刈りは、毎年厳しい修行のような一日だ。
体中から汗がふき出し、たらたらと流れるのが分かる。目に入ると沁みて痛い。口からは白い粘液が出てきて、口角にこびりつく。
それでも昔に比べたら、ずっとずっとずーーーと楽。それに、今日は薄日だったので、少し助かった。
バッタがぴょんびょん飛び跳ね、トンボがぶつかりそうになってたくさん飛ぶ風景は、今年も変わらない。水路にはメダカもいっぱい泳いでいる。
毎年変わらない風景に、なんだかほっとする。これがもし、「今年はトンボが少ないなぁ」とか、「なんだかメダカの姿が見えないね」なんてことになったら・・・。
数年前から私は、「田んぼに変化のきざしが見えたらどうしよう」と心配している。お米を作るのはポレポレの力だけではなく、自然の中のいろいろな小動物が助けてくれていることを知っているからだ。
だから、ポレポレは、それらの仲間を守るために農薬はいっさい使わない。
草がいっぱいで、先輩のお百姓さんに笑われても、頑固に曲げない。
でも、地球全体が病んでいる。温暖化の影響はさけようもなく、いろいろな変化がしのびよっている気がするのだ。
「変わらない風景」は、いつまで続くだろうか?
トンボは分かると思うけど、バッタは見つかるかな?