2004年12月の暮らし
12月18日(土)晴れ 手わざ
朝晩は霜が降りるようになった。
職場の若い女先生が、「編み物を教えてください」と言うので、「むむむ、彼へのクリスマスプレゼントかな?」。
おせっかいな私は、手編みのセーター数枚、男物の本2冊、編み物の道具一式・・・わんさと説明に持って行った。
見本のセーターは、アラン模様のくるんとロールネックのと、シャツ襟にして木のボタンを2つつけたのと、下に綿シャツを着て合わせたらいいVネックのと、編み込み模様のと・・・だ。
実際に見て、形は、色は、襟は・・・とデザインしていくのが手作りの楽しさだと思う。
「わ、これ全部キリコ先生の手編みなんですか!」と楽しんでくれたのはいいが、「これって・・・どこから編み始めるんですか?」「へっ?」。
ひぇーー、もっもしかして、手編みは初めて? 一瞬青ざめた私に、すかさず彼女は言った。
「手取り足取り教えてください。」
「・・・・・」
考えてみると、学校では手編みだとか、着付けだとか教えてくれるところはほとんど無い。
私も手編みは独学で覚えた。小学生くらいから、冬になると周りの友達もみんなマフラーとか編んでいたし、見よう見まねや教えあったりで上達していったのだと思う。
塾もなく、パソコンやゲームもなく、時間はたっぷりあったんだろうなあ。
今は市販のステキなセーターがいっぱいあって安く手に入るし、手編みなんてやる人が珍しくなっているのだと思う。彼女は普通なのだ。
便利な社会になればなるほど、人間は「手わざ」を失っていく。
食べるものも着るものも、暮らしの道具も、自分で作る技がどんどん減っていく。
なんだかそれって「生きている実感」まで乏しくなってしまいそうで、不安になるのは私だけかな?
編み込みベスト。へちま襟に折って着ます。
12月11日(土) 晴れ 根切り虫
パイナップルセージが咲き続けている。やはり暖かいからだ。
野地菊に混じって、ルドベキアもまだ咲いている。12月なのに、驚いてしまう。
ステビアはもう花が終わったので、草刈り機で根元から刈って、ブンタンの根元に敷いた。
こうしておくとブンタンが甘くなるのだそうだ。
金柑が熟れたので採って、甘露煮にした。薪ストーブの上で煮ると、ムダがない。
まず金柑に爪楊枝で穴を数箇所入れ、ゆがいて水で一晩さらす。
次に砂糖を入れて、金色に煮る。冷まして保存瓶に入れておく。
すっかり熟れているので、生でそのまま頬ばってもおいしい。何個でも食べられる。
ポレポレは山から竹を切ってきて、えんどう豆に手をした。
ツタンカーメンのえんどう豆は、日に日に「ただ豆ではない」様相を呈し、紫色の葉を繁らせていく。
その大切なえんどう豆の茎のところが、地上すぐのところで切れて枯れているのを、ポレポレが発見。
「大変、根切り虫だ! 急いで周囲の土を掘り返してみなきゃ」
周囲5cmあまりの土を探したら、やっぱり根切り虫がいた。退治する。
驚いたことに、玉葱にも同じ状態の茎があり、探すとまたもや根切り虫だ。
匂いのきつい玉葱にまで手を出すのか?!(口を出すというのかな)
はやく発見して退治しないと、根切り虫は移動してつぎつぎとかじり倒して進む性格の持ち主。
大切なツタンカーメンのえんどう豆が、危うく花も拝めなくなるところだった。
12月3日(金)晴れ 究極の湯のみ
今年もあと1ヶ月になった。紅葉が今みごろ。
朝晩は冷え込むので、薪ストーブを焚き始めた。自然と煮込み料理が多くなる。
ところが日中は、12月というのが信じられないくらい暖かい。薄いTシャツ1枚でも汗ばむ。
おかげで野菜の虫が元気で、レースのように葉をかじっている。
ツタンカーメンのえんどう豆も、もう10センチほど伸びた。大切に育てて、ぜひ花を見、種を増やしていきたい。もちろん、食べてもみたいのが第一だけど。
最近、私たちが偏愛しているものに、平野先生作の湯のみがある。
正直言って、一見した時は何の変哲も無いし、大きすぎるような気もしていた。
ところが使ってみると、重過ぎず軽過ぎず、両手にこっぽりとちょうどよくおさまり、すごくほっとする使い心地なのだ。ポレポレは「目からウロコ」だったと言う。
お茶はもちろん、コーヒーも甘酒もレモンティーも・・・みんなその湯のみで、ほっとあったまりながらすする。
やはり道具は使ってこそ生きるし、使い勝手のいいものがすばらしい作品なのだと知った。
たかが湯のみ一つ・・・でも、本当にいいものを使いたい。それもまた心の豊かさに通じる。
手仕事展で、平野先生の作品(菓子器もお気に入り)
2004年11月の暮らし
11月23日(火)晴れ ヒダくんとハツコさん
今日はポレポレが木工を指導している施設のヒダくんが、ポレポレに会いにやってきた。
いつもポレポレに抱きついてくる子で、朝出勤すると「待っとった」、帰りには「明日は来る?」と聞いてくるという。
ヒダくんのほかにも何人か、すっかりポレポレに心を寄せている人たちがいて、私は彼らの話を聞くのが楽しかった。
彼らは心が純粋で正直だから、お世辞やごきげんとりではなく、本当にポレポレのことが直感的に好きなのだろうと思うからだ。
いやなことや辛い目にいっぱいあってる人たちだから、誰にも分け隔てなく優しいポレポレと出会えてよかったなと、ほっとする部分もあった。
差し入れのシュークリームを勧めると、素直に手をのばして食べてくれ、家族の話などしてくれてうれしかった。
午後からは思いがけず、ハツコさんが杖をついて入ってきた。
以前うちで展示会があった時、シルバーカーをついて来たお客さんがあって驚いたことがあったのだが、それがハツコさんとの出会いだった。
大方町の役場に問い合わせたりして、ようやく息子さんの車で連れてきてもらった・・・とうれしそうに語ってくれた。
さらに驚いたことに3月の土佐清水市にも、はるばる息子さんに連れて来てもらい、杖で苦労して階段を上って来たのだった。
今日で3回目、やはり息子さんが送り迎えしてくださっていた。少し身の上話など聞く。
神戸から嫁いで60年というから、母と同じくらいの年齢だろうか。「もうあと2,3年は生きたい」と言うので、「どうぞお元気で、毎年手仕事展でお会いできるのを楽しみにしていますから・・・」と心からそう言った。
3回ともスカーフが欲しいとおっしゃる。それも藤色が好きだと言って、今回も野ぶどうで染めたのを買ってくださった。母も大好きだった色だ。
そのほかに平野先生の片口、ポレポレの足置きのついたスツール。
ハツコさんは息子さんと二人暮らしなのだろうか? どんな人生を送ってきたのだろう?
手仕事展以外で会うことも無い人だけど、なんだか母が着ていた暖かいカーディガンなど着ていただきたいなと、ふと心によぎったことだった。
和菓子など持って、ハツコさんと世間話に行ってみようかなぁ・・・。
おかげさまで今日でチャリティーの手仕事展は終了。ご参加くださった作家さん、遠くからもかけつけて支援してくださったみなさん、本当にありがとうございました。
11月22日(月)晴れ いのち輝く日
新聞に「今日の運勢」欄がある。当てにしていないのに、毎日見る。
書いてある短い言葉が、「なるほど」とうなずけるものがあるからだ。
今朝見たら、「命が輝く貴重な日。喜び折り重なって到来」とあった。それって昨日のことじゃないの? 今日もまたいい日ということかな? と読んだ。
「命を輝かせて生きたい」と、誰でも思うだろう。でも、具体的にどんなのが「命輝く」というのかと問われたら、なかなか言葉で説明しがたい。
でも、昨日はまさにそんな実感をして、私にとって「手仕事展」がとても大切なものだと、改めて確認したのだった。
言葉だけ、理屈だけでは、本当に「いのち輝く」とは言えない。心の底から喜びと感動がともなって実感してこそ、いのちは輝くのだ。
そんな体験が多い人生ほど、「生きた」って言えるのじゃないかしら。
もしかしたら、いえもしかしなくても、ウルトラマラソンに出場する人も、四国遍路をする人も・・・、同じように理屈でない感動を味わっているのだろう。
そして、そんな人生を送っている人は、他人の悪口ばかりに夢中になったり、足を引っ張り合ったりなどというくだらないことには、心が向かなくなると思うのだ。
それよりも、自分はいかに人の役に立てるか、支え合って生きられるか、暖かい気持ちがあふれ出すと思う。
社会全体がそうなれば、理想だよね。
今日もまた、たくさんの出会いがあった。
遠く須崎市から来てくださったアドラーさん、あけびありがとう! 貴重なお話も、すごく興味もちました。
同じく須崎市からのO氏、目標は同じです。お互いがんばりましょう!
初対面の人がいきなり「先日、石見銀山に行ってきた」と言ったので驚いたり、ラジオの生出演があったり・・・、今日もなかなか楽しい1日だったなぁ。明日、いよいよ最終日。
11月21日(日)晴れ 出会い、つながり・・・
私はつくづくいい人たちと出会い、つながっているなあと・・・しみじみうれしくなる一日だった。
なんだかこんな日は、人間として生まれてきたことに、いろいろあっても生きていられることに、心から感謝したくなる。
大勢の方に来ていただいて、支援していただいて、本当にありがとうございました。
メイさんとはまだ数回しかお会いしたことがないなんて、ウソみたい。すっかりもう従姉妹といるみたいな気分。
明日はデッキ持って行って、メイさんにいただいた曲を流すつもり。今朝ポレポレに言われたのに私が忘れて行ってしまって、一日中「あんなに言ったのに・・・」ってこぼされてしまった。
にがりさんのお友達も遠くから来てくださって、初対面だけどもっともっとお話したかった。
このみちゃんの淡水パールのきれいなネックレスを、島岡早苗ちゃんのお母さんが「早苗に買って帰ろう」とおっしゃったのには、思わず涙がこみあげた。
お母さんの中では今も、早苗ちゃんが生き続けているのだ。きっと毎日「早苗、今日はね・・・」と語り続ける日々なのだろう。
早苗ちゃんのお母さんは、このチャリティー展に役立ててと言って、手作りの封筒や詩集を送ってくださった。
お母さんの封筒でメイさんに手紙を書いたら、やはりメイさんだ、心にとまってお返事にそのことを書いてくださっていた。
今日はちょうど同じ時間帯だったので、ご紹介できてうれしかった。
明日はどんな出会いがあるだろう。少しでも私も人さまにお返しできるように、明日も心を込めてがんばろう。
11月19日(土)晴れ ツリーハンガー
一年中で一番忙しい月だ。今日も会のため高知市出張で、朝6時過ぎに出発。
ポレポレはラジオの「ワローのごきげんワイド」で、手仕事展のPRだったらしい。
帰宅すると、作品に最後の磨きをかけていて(といっても植物性のオイルフィニッシュなんだけど)、「どう?」と感想を求められた。
先日横浜市からの注文でツリーハンガーを送ったので、新しいのを作っていた。
なかなか大きなツリーハンガーで、台もおもしろい。気に入った。
考えてみれば、ツリーハンガーとスツールと子ども椅子は、ポレポレの定番だ。
初期のフリーマーケットの時代から、作っても作ってもいつの間にか売れて無くなっている。
もちろん二つとして同じ作品は無くて、特にツリーハンガーは1本のヒノキで1つしかとれない。
なぜなら、一番天に近かった部分・・・つまりその木の先っちょの部分なのだ。
普通は打ち捨てられてしまう部分だが、ポレポレはそれをそのまま活かして、ツリーハンガーにしている。
伐採してすぐの枝は、おもしろいようにツルリと皮がむける。自然の枝ぶりもそのままだ。
小さいものはカップハンガーにしたり、アクセサリーハンガーにする。うちではキーハンガーとしても使っている。
自宅で手仕事展をやった時、うちで使っているハンガーを気に入ってしまったお客さまがいた。
「何年も使って汚れていますが・・・」「いいです、これ分けてください」。
不思議なことに、古布衣もアクセサリーもスカーフも身につけていると必ず「それが欲しい」とおっしゃる人がいる。
これは確かです。人間の不思議な心理なんでしようね。手仕事展だけでなく、ギャラリーのオーナーからよく聞く話ですから。
新作ツリーハンガー
11月11日(木)雨 新聞の楽しみ
朝は5時30分に起きる。トントンと階段を降り、玄関ホールで真っ先に新聞を手にする。
そのままリビングに入り、新聞を読み始めるのが私の一日のスタートだ。
今一番楽しみなのは、森健志郎さんの「留学記」連載だ。60歳で退職されてから、ウルムチ新疆大学へ2年間留学されていたことを、新聞を見るまで知らなかった。
私に文章を書く楽しさを発見させてくれたのは、ほかならぬ森さんだった。
初めて出会ったのは、高知新聞社二階の社会部のフロアだった。仕事の打ち合わせで行った時、若手記者の誰かがけっこうびびった感じで社会部長に紹介してくれた。
今でもはっきり覚えている。森さんは赤と黒のチェックのシャツを着て、足を机の上に上げていたのだ。多くの部下にぴしぴしと采配をふるう、恐い社会部長というイメージだった。
でも、私には本当に優しくしてくださって、挿し絵を2年間描かせていただいている間文句一つ言われず、何度もごちそうになった。
続いて学芸部長になられた時、初めて原稿依頼の電話をいただいた。月曜随想だった。
学芸部の挿し絵の依頼もいただいたが、私には描けそうも無いジャンルだったので、それはお断りした。
かわりに学芸部のコラムによく書くようになり、森さんは必ず読んで電話で評価をくださった。それが本当にうれしくて、けっこう「いい文章を書きたい」と思ったりしたものだ。
今、森さんの連載を読むと、「さすがプロだなぁ」と思う。センテンスが短い。つなぎ方が独特の間合いがあって、心にくいばかりだ。私にはこんな名文は、一生書けそうも無い。
今日で連載5日目、そろそろ「毎日楽しみに拝見しています」のはがきなど送ろうかな・・・
11月6日(土)晴れ アイトワへ
ずっと行きたいと思っていた場所だった。
森先生の「楽園」を、ようやくお訪ねすることができた。想像していた以上の、本当に「天国」のような場所だった。
観光地の中にありながら、深い森に迷い込んだような静寂があり、たくさんの小鳥や小動物たちが生き生きと生息していた。
畑では野菜がみずみずしく成長し、さまざまな種類の樹と草と花が混然と雰囲気を作り出していた。
ああ、ここにいたらどこにも出かけたくなくなるだろうなぁ。
やりたいこと、やることがいっぱいあって、いろいろな発見があって、まさに「生産と創造の場」に違いない。
私たちも便利や安楽よりも、オリジナリティーを尊重し、心をこめて暮らしを創りたい考えなので、アイトワの空気は細胞のすみずみまで心地よく、すっかり興奮ぎみだった。
ティールームで食べた「山菜ピラフ」もとてもおいしかったし、おやつに買い求めたクッキーも手作りの味だった。
奥様の作られた人形も拝見した。見る人を惹き付けてやまない凛とした表情、凝った民族衣装のような洋服、今にも語り掛けてきそうな人形もあった。
先生の御著書も奥様の人形の御本も、書店でもネットでも入手可能。
ぜひ「愛とは?」と考えてみませんか?
アイトワの庭で、森孝之教授と。
11月4日(木)晴れ 師友塾へ
神戸市の「師友塾神戸校」へ行って来た。
初めてなのでキョロキョロして歩いていると、はるか向こうから私服の高校生たちが「こんにちはー!!」と挨拶してくれた。
「えっ、私?」まさか見知らぬおばさんにまで挨拶してくれるとは、想像もしていなかった。
1時から6時までぶっ続けのセミナーだったが、大越塾長を中心に、大勢の生徒や保護者、スタッフが熱心に考え話し合う空気は、「行ってよかった」と大満足できるものだった。
一番驚いたのは、生徒たちが明るく元気に率直に、マイクに向かって自分の言葉でしっかりと話すことだった。
しかも、発言している内容は「人生」に関わる重いものである。
今どきの学校で、はたしてこんな雰囲気があるだろうか? 皆無とは言わないが、かなり少ないにちがいない。
大越先生はこんな真剣勝負のようなセミナーを、30年も続けてこられたのだ。3時にわずか10分間ほど休憩をとるだけで、ほとんど立ちっ放しで5時間!! 圧倒されるパワーである。
学んだことが多すぎて、レポート何十枚にもなりそうだ。
いずれ少しずつ触れていきたいと思う。ただこれだけは書いておきたい。「学校へ行くのがあたり前で、行けない子どもは落ちこぼれだという見方は間違っている。」ということ。
子どもはもともと元気だったはず・・・それがどうして?!
11月3日(水)晴れ 畑仕事と手仕事と・・・
Tシャツ1枚で、太陽の下で畑仕事をするのに、一番いい季節。
汗ばむけれど暑くはなく、秋風が気持ちがいい。
玉葱200本を植え、小麦の種を蒔いた。仕事を終えて畑を眺め、大満足。
秋野菜も緑葉が多くなり、全部の畝が整然となった畑は、豊かな気分にしてくれる。
手仕事展に古布衣を出品してくれるミホちゃんから、第一作が届いた。
お得意のTシャツに古布をパッチワークした上着に、リバーシブルのスカート。おそろいのストールも付いている。
写真では白く見えるかもしれないが、Tシャツはとてもきれいなブルーグレーで、私の車の色とおんなじ。
リバーシブルのスカートは、バルーンなのがおしゃれ! 裏は黒のシルクで、表は小紋の花柄でこちらもシルク。
どっちが表でもいいんだけど、1枚で2通り楽しめて、見ようによってはパンツにも見えるバルーンは、きっと今回の目玉になる。
う〜ん、私が欲しい・・・! 軽くて暖かくて、肌触りがよくて、シルクをまとうと手放せなくなるんだよね。
古い着物がよみがえって・・・
2004年10月の暮らし
10月31日(日)雨 「はーと・らいふ村」ツアー
休みの日になると、ちょっとドキドキする。今、「はーと・らいふ村」ツアーが、生徒の間でちょっとしたブームになっているからだ。
「明日、はーと・らいふ村に行ってもいいですか?」と、何回言われたことだろう。
きっかけは、釣りキチ3人組。次の日学校に行ったら、はーと・らいふ村の話題でもちきりだったのだ。
なんと彼らは、間取りまでしっかり黒板に書いてくれていた! 3人の中の1人は、「はーと・らいふ村より小さい村を作るのが、ぼくの夢」と授業の中で発表したので、私のほうが驚いてしまったくらいだ。
ツアー希望は何組もあり、それぞれの友人関係が浮かび上がって見えたのはいいが、現在勤務している学校だけに、気になることもある。
来たくても仲間に入れてもらえない子が出るのではないか? 道中が長いので、どうやって来るか? 途中何かあった場合、責任は大きい。
その点、卒業して大人になって訪ねて来てくれる生徒は、気が楽である。
今日は高知大学付属中学で担任したアイコちゃんが、彼とやってきた。彼とは初対面である。
なんだか自分の娘が、初めて恋人を連れて来る心境で、ちょっとドキドキした。
すごくお似合いのステキなカップルで、ポレポレが居ないのが残念だった。居ればきっと話が合ったと思うのに。
アイコちゃんは、担任した生徒の中でも特別印象の強い生徒だった。2年3年と担任し、卒業を見届けたということもあるけど、何年もたって付属中学から送られてきた「創立五十周年記念誌」を読んだことが大きい。
分厚い立派な記念誌をパラパラめくって見ていたら、思いがけず私の名前を発見した。「あの頃の未来に・・・」という、アイコちゃんの文章だった。
「・・・・前略・・・・私の現在は、山本キリコ先生に出会ったときに始まっていたのだと思います。そしてこれからも、先生は私の永遠に恩師です。これからも、私だけでなく3年A組のみんながフッと思い出したとき、帰る場所であるような、良き先生でいてください。」
教師冥利に尽きると感動した。生徒からもらったこんな感動が、仕事の支えになってくれている。どんな時も、誇りを持ってがんばろう。
ポレポレは沈下橋の写真展会場当番(中村市公民館)3日迄
10月23日(土)晴れ 野菜高値
とても気持ちがいい季節だ。
家の中よりも外、畑仕事や庭仕事をしていると、時間のたつのを忘れる。
ポレポレは職場の運動会に出かけ、私は明日の神祭の準備に、神社に集合だった。
ノボリを立て、おみこしを飾り、掃除をして、榊やしめ縄を祭る。
各戸1名、箒や鍬や草刈機などを持って、朝早くから集合する。話題は台風から、野菜の高値へと移っていった。
レタスなどべらぼうに高い。ここらへんでは、みんな自家菜園で作っているので、それほど痛手はないと思うが、お店の人は大変だろうと思う。
こんな機会に、自分で野菜を作ってみようという気にはならないだろうか?
家事のように、食べるものは家で栽培して、料理する。むしろ、そんな人が1人でも増えてほしいなぁ。
そのための土地、種、栽培の仕方・・・よろこんで協力します!
焚き火、大好き!
10月17日(日)晴れ 四万十ウルトラマラソン
昨夜は7時に寝たが、私はあまり眠れなかった。
9時30分に目が覚め、11時過ぎに目が覚め・・・何度も枕元の時計に目をやって、3時の目覚まし時計の音で起きた。
こわごわ「体調はどう?」と聞いてみる。言うだろうと思っていた返事がもどってきた。「うん、大丈夫!」
おととい帰宅してみると、ポレポレは先に帰って寝ていた。職場で鼻水がずるずるで、風邪気味だという。
その前の日、ポレポレにいつも抱きついてくるマキ君が風邪を引いて早退したと聞き、(うわっ、生徒に風邪が流行ってるとまずいな)と不安がよぎった直後だった。
とにかく温かいものを食べて、早く寝て・・・と、ネギのいっぱい入った煮込みうどんを食べてもらって寝た。
昨日、しばさんたちが来ていた以外は、ずっとベットの中だった。微熱があり、薬を飲む。やはり鼻水がとまらず、倦怠感があるらしい。
無理しないほうがいいに決まってるが、これまで毎日10キロ20キロと走り続けてきたことを思うと、判断はポレポレが決めることだと思った。
今朝は熱も下がり、鼻水も楽になっていたが、うどんとバナナを食べ、薬も飲んだ。
4時30分にスタート会場に着く。もう続々とランナーが集まっている。
かがり火が赤々と燃え、太鼓の音が響き、1500人のランナーの緊張と熱気とざわめきで、だんだん興奮してくる。
開会式の後、しばさんとポレポレは並んで手を振ってスタート。過酷な14時間の一歩を踏み出した。
スタート直前の二人
私としばさんの奥様とは、いったんうちに帰り朝食。8時に応援に出発した。
ゴールの中村高校に寄って、逆周りで四万十川を上る。しば夫人は初めてなので、四万十川の眺めに感嘆していた。最高にいいお天気で、川面がキラキラ光っている。
半家の沈下橋に行くと、もう応援の人たちやカメラマン、マスコミの人たちが陣取っていた。
そこが50キロ地点だ。高い山を登って、まただらだらと坂道をくだって、難所続きの前半50キロだ。
フルマラソンを走ったことのあるポレポレも、初めて挑戦する距離だ。そこまでどんな状態で来るかと、顔を見るまで不安だった。
しばさんが来て10分後くらいに、ポレポレも来た。やはりかなりきつかった様子。顔見知りの写真仲間に、「写真撮ってるほうがよかった」と笑わせていた。
少し談笑してからまた走っていったが、この時はもう膝が傷み始めていたらしい。
また次の坂を上り、下ってくる時は完全に走りにくそうだった。
膝が曲がらなくなっていて、片方の足を投げ出すように走っている。しば夫人に痛み止めの薬をもらって、走って後を追いかけた。それを飲んでまた出発。次は62キロ地点の休憩所、カヌー館だ。
そこにはスタート時にあずけた荷物が届いていて、各自着替えをしたりしていた。
はたしてポレポレは、あの足で来れるだろうかと待っていたら、思ったより早く走って来た。
「痛みどめが効いてきたので、なんとか行ける」と言う。
着替えや靴も入れていたが、靴下だけ履き替えてエアーサロンパスをこれでもかというほど吹きつけ、おにぎり1個流し込んだだけでまた走り出した。
60キロコースなら、もうゴールしている距離である。100キロコースは、ここからまた38キロあるのだから、想像を絶する過酷さだ。
多くの人が階段の1段1段をようやっと手すりにすがって歩いて、トイレに入っていた。
次は岩間の沈下橋。ここが一番景色が美しい。カメラマンに嫌がられるだろうが、私たちはもう必死になってランナーに混じって沈下橋の向こうに走った。
先に渡って、ポレポレが来た時に写真を撮るのだ。
さすがにポレポレはいつも写す側なので、私が構えて待っているといい位置に走って来る。前の人と重ならず、橋の真ん中を真っ直ぐに。
半家の沈下橋で
次は四万十学舎のところで待つ。かなり時間がかかったので、また足が痛み出したらしいことはすぐに察せられた。
案の定、素人が見ても限界に来ている。足が棒になるという言葉は本当だ。曲がらない足で無理して走り続けているので、もう片方も痛み出していた。もう痛み止めを飲んでも、効かなくなっているという。
もう十分じゃない?と何度も言ったが、「行けるところまで行く」とのこと。あとはポレポレが後悔しないように、自分で判断するしかない。
結局80キロまで走った。そこでリタイア。膝さえ痛めなければ、十分に時間内にゴールできるペースだったので、この経験は今後に活かせると思う。
ゴールでみんなでしばさんを待った。さすがに走りこんでいるしばさんは、ほぼ予定の時間に感動のゴール。ポレポレや奥様と握手で喜び合った。
二人とも歩くのがやっと。車にそろっと乗るだけで、「イタッ!」と悲鳴を上げた。かなりがまん強い人なので、よほどのことだと思う。
後夜祭のホテルでは立食パーティーだったが、そのうちランナーはみんな床にそのまま座り込んだ。中には床に寝る人もいた。
なんで立食なんだろう? 100キロも朝から走り続けて、まだ立って食べろなんて、どうかしてると思う。
長い一日が終わりに近づいた。ポレポレは「とても楽しかった。後悔していない」と言う。
「走ってみると、フルと60キロと100キロとでは、まるで別のものだと分かった。その距離を走ったものでないと分からない。自分自身の発見もあったし、体のどの部分を鍛えなければならないかも分かった」と話してくれた。
二人とも共通の感動だったのが、目の不自由な人にボランティアで伴走していたランナーの人たちのことだ。
100キロ1人で走るだけでも大変なのに、手をくくった相手のペースに合わせて走り、言葉で一つ一つ誘導しなければならないのは、どんなに大変なことか。
普通のランナーよりもずっとベテランで、大会経験も積んでいなければ、とてもできない役に違いない。本当にすごい人たちだ。
もう1人、すご過ぎる人がいる。去年も見かけたサンタクロース。この暑さの中衣装も完璧、ひげまで付け、おまけに背中にはたくさんのプレゼントが入った白い袋を背負っている。
それを応援してくれている沿道の子どもたちに、配りながら走るのだから・・・。
世の中にはまだまだ、本当に本当にすごい人がいっぱいいる。まったく無名の、しかし、私には「こんな人こそ尊敬したい」と思える人々だ。
毎年走るサンタさん。1位の人よりはるかにすごいです!
10月15日(金)晴れ 野菜の詰め合わせ
愛媛県一本松町の「どろんこサッカー写真コンテスト」で、ポレポレの組写真が入選。
今日、賞状や金一封と一緒にダンボール箱いっぱいの野菜や果物が届いて驚いた。
みかん3袋、玉葱、サツマイモ、人参、じゃがいも、メアカ、レモンがそれぞれ1袋ずつ。
うちにもレモンの木があるが、なかなかいい実がつかない。グリーンの形のいいレモンが4個も入っていて、すごくうれしかった。
さっそく母の仏壇にも祭り、キッチンのカウンターにも飾った。
高知新聞の写真コンテストの賞品は、以前は洗剤セットだったし、先日は入浴剤の詰め合わせセットだった。
野菜も洗剤も、日常使って無くなる物だというところがありがたい。
最悪なのは、アルバムだとか卓上小物入れ、クーラーバックもあった。送ってもらって文句を言うのは申し訳ないが、「フィルムでもくれるほうがありがたい」とポレポレはぼやく。
トロフィー、楯・・・、そういうのも二人とも全然関心が無い。置き場が無くて、作りつけ本棚の最上段にほこりまみれで並べてある。
歳をとるほどに、物を持ちたくない気持ちが強くなる。そう思う一方で、物がどんどん増えているのはどういうこと?
本当に必要なものは、たぶんほんの少しだよね。本当に必要なものだけを、大切にいつくしみながら、シンプルに豊かに暮らせたら・・・と思うこのごろ。
庭はパイナップルセージの季節
10月14日(木)晴れ ピンクトルマリンのピアス
まる一週間、村便りを書けなかった。書きたいことは毎日毎日、山のようにあったのだけど・・・。
今日はやっと、少し座れそう。虫の音に耳をすませながら、何か一つでもお便りをしたためよう。
10月は私の誕生月。毎年、しみじみ「いい季節に生まれたんだなあ」と思う。
空気がおいしい。昼間の陽射しも夜の月や星も、すっかり秋が深まったことを感じさせる。
特に夕方がいい。空は青く、山並みが黒いシルエットになって、家々の灯りがともる頃がいい。どこかで野焼きの香ばしい煙が漂うと、せつないほど幸せな気持ちになる。
ポレポレからのプレゼントは、シルバーのハートの中に誕生石をちりばめたピアスだった。
「う〜ん、なんとかいう石だったけど、忘れた・・・」
今朝、新聞の折り込みチラシを見て、「ピンクトルマリンでしょう?」「あ、それそれ」。
お返しに昨夜は、お手製のポーチを縫い上げた。
ウルトラマラソンでカメラを持って走りたいという願いを叶えるために、カメラがピッタリ納まる大きさで、しかも飛び出さないように伸縮性のある布で作るしかなかったのだ。
ベルトを通す部分を、お守りにした。中に祈願を書いて包み込み、ハートのステッチをデザインにした。我ながら、いい出来!?
さっそくそれを腰につけ、夜もふけて家の中を試走するポレポレ。リビングを出て、玄関ホールから廊下を走り、キッチンを廻ってまたリビングにもどる。「うん、いい」
客観的に見れば、かなり「へんな夫婦」だと笑える。
お守りの効果は?? 17日になってみなけりゃ分からない。
なるほど、去年の写真のポーチも参考になる。
10月8日(金)雨 平野功治先生
私の陶芸の師匠、平野先生からCDが届いた。
秋の手仕事展に初めて出品していただくので、写真を撮りに伺いたいと電話すると、先生が撮られたのを送ってあげますとおっしゃってくださった。
先生に手ほどきを受けたのは、大正町のしまんと窯での2年間だった。
先生は月に1回か2回、松野町から指導に来てくださっていた。
公民館跡を利用して開いた窯は、幼児から90歳をこえたおばあちゃんまで集まり、とても楽しかった。
中でも常連組はそこに行けば必ず誰かいて、冬になればストーブの上で椎茸を焼いて食べたり、おでんを炊いたり、憩の場になっていた。
私以外のみんなはめきめき上達し、たちまち展覧会で受賞する腕前になった。
今も場所を移して本格的に穴窯で焼き続けている。
仲間たちと松野町の先生の工房を訪ねたことがあった。その時買い求めてきたティーポットとコーヒーカップを、今も愛用している。
確か友達が見て「欲しい、欲しい」と騒ぎ出し、後からまた同じものを注文したように記憶している。
送っていただいた写真は、さすがに作風も変化していた。手仕事展が楽しみだ。陶芸仲間たちにも「おいで、おいで」と呼びかけよう。
第11回になる秋の手仕事展は、11月21日(日)から23日(火)。今年初めて「チャリティー展」にして、売り上げの一部を寄付することにした。
窯出しを待つ作品たち
10月7日(木)晴れ 古代米
16年度の古代米をポレポレが刈り取り、販売を開始した。待っていてくださっていた県内の店から、つぎつぎに注文の電話が入り、順次発送。
今年はとうとうイノシシの被害に遭い、例年の3分の1しか収穫がない。あっという間に売り切れそうだ。
山あいの棚田なので、今まで食べられなかったのが不思議だった。
ポレポレは「イノシシの口には、まずいのだろうか?」と、へんな心配をしていたくらいだ。
ずいぶん大きな足跡で、食べただけでなく転げまわって遊んでいたそうだ。多分、これから毎年やってくるに違いない。
山の上から下までうちの田んぼが続き、よその田んぼの影響を受けることなく、きれいな湧き水で育てられる。
すみれや木苺、めだかや小鳥たちの楽園なのだが、いずれ休耕田になってしまうのかなぁ。
ここはポレポレが作る前に、「素人が耕す会」のメンバーたちが、それぞれ無農薬有機栽培でお米を作っていた。
紙マルチでする人もいれば、鯉による除草を試みる人もいたし、不耕起の人もいた。
めだかを保護する協会の人が、楽園として借り上げたいという申し出もあった田んぼだ。
私たちはめだかや小動物といっしょになって、古代米を育てる方を選んできた。
これから何年作ることができるか分からないが、貴重な古代米作りを続けたいものだ。イノシシさんには、なるべくご遠慮ねがいたい。
今年の春、古代米の田植え風景
10月6日(水)晴れ ひきこもり宣言
秋晴れの気持ちいい天気。
いつもは私より1時間半ほど遅く起きるポレポレが、年に1度この日だけは確実に先に起きる。
目的は朝刊。高知県展の発表があり、写真の部に入選していた。
次回のポレポレの目標は、中村市展だろうか。筆を折って久しい私も、そろそろ描いてみようかな?
いつもポレポレは好きなことをしてうらやましい・・・と思っているだけじゃなく、私も自分の時間を捻出する工夫をしてみようと思う。
本当に自分のやりたいことは何か? しんどくてたまらないことは何か?
本当にやりたいことのためには、少し1人でひきこもったりもしてみようと思う。
孤独は悪いことばかりではない。
裏山の散歩道にある車輪。密かに私は欲しいのだが。
10月2日(土)晴れ ハーブのローションとクリーム
「ハーブ教室」の講師に呼ばれて、出かけた。
今日はローズマリーのローションと、ユーカリとイランイランのクリームを作った。
材料はみつろう(みつばちの体内から出る、自然のワックス)とスィートアーモンドオイル、そしてもちろんハーブ。
添加物ゼロだから、安心。香りも自然で、プレゼントしても大いに喜ばれる。これから冬に向かうのに、クリームはぴったりだ。
朝早く起きて、庭のハーブを摘み、かごに入れて準備する。
今日はローズマリーのほかに、花が咲いていたパイナップルセージ、アメジストセージも持参する。毎回、参加者が喜んでお土産に持ち帰るのだ。
ローションもクリームもとても簡単なので、おまけに全粒粉のシフォンケーキも欲張って作ることにした。
ケーキに入れるローズゼラニュームも、せっせと摘んで持っていった。
教室の講師に呼ばれるようになって、もう5年になる。定員は16名、遠くは愛媛県や西土佐村、土佐清水市からも来ていた。
ハーブ染めを続けていたので、少し趣向を変えると新しい出会いも広がるのでは? と考えていたが、染めから手作りコスメにメニューを変えても、やはり来てくれる人は一緒だ。
旅行から帰ったと、お菓子をそっとくださる人もいたり、家で染めてきたのれんを見せてくださる人もいたり、とても楽しい。
次回の教室は2月。寒い時期だけど、みんなに喜んでもらえるメニューを工夫しよう。
おまけに作ったケーキ
クリーム