2005年3月の暮らし

3月27日(日)晴れのち雨 だるま夕日フォトコンテスト表彰式

今年で第5回。ポレポレは第2回からずっと参加している。

毎年観光開きに合わせて表彰式をするので、とてもにぎやかだ。

田舎寿司や豚汁、きびなごの天ぷら、みかんもち・・・いっぱいおいしいものが出ている。

恒例のモチ投げが終わってから、お昼を食べ、大月町の「ホテルベルリーフ」へ足を延ばした。

町役場を過ぎ、柏島へ行く方向へ折れ、少し走ると「エコロジーキャンプ場」の案内がある。

そこで左に折れると、すぐ海を見下ろすホテルがある。中村市から1時間くらいとか。

私たちは初めてだったが、きれいなホテルで見晴らしもよく、お風呂も満足だった。

客が誰もいなくて、貸し切り状態。もったいないなぁと思いつつ、とてものんびりできた。

パンフをもらってきたが宿泊も驚くほど安い。今度泊まりに行ってもいいかなと思う。

sukumo349.jpg 介添えの赤い服は「さんご娘」さん

3月24日(木)晴れ 最後の授業

公立学校は、今日が終業日。4時間授業で終わり、午後は大掃除と終業式があった。

以前なら始業式と終業式は授業はなく、通知表やロッカーの荷物を全部持って下校したものだ。

でも今は授業がみっちり入るので、普段の日とあまり変わらないけれど、今年の最後であることには違いない。

さて、その最後の1時間が私の授業でしめくくりとなった。

教科書はすべて終了、苦手な分野の復習も終わっている。最後は楽しく(?)「読みにくい漢字の読み」にしようと計画した。

漢字ってけっこう楽しいものなのよ。漢字のかきとりテストとかになると嫌いだけど、「魚へんの字を集めよう」とか、「国名の漢字を集めよう」とか言うと、子どもはとっても盛り上がる。

ついでに景品をつけることにした。これは賛否両論あると思うが、家の中には使わないグッズがけっこうある。シャーペンや本など、いらないものを何でも集めておいて、景品にするのだ。

B4のわら半紙を1枚ずつ最初に配る。それを6等分に折って、6つのグループの漢字の読みを書いてもらう。

だいたい1グループが10問以内だ。あまり多く出すより、そのくらいで解答をすぐにするほうが盛り上がる。

問題は簡単なものと難しいものを、両方入れないといけない。たとえば「子のつく漢字の読みグループ」だったら、「調子」「迷子」・・・などは簡単。でも「格子」「扇子」「案山子」などになると、中1には難しい。

「国名の漢字グループ」だったら、「伊太利亜」「英吉利」「独逸」などは簡単だが、「土耳古」「丁抹」などは大人でも読める人は少ない。

「せんせーい、ヒント、ヒント!」という声が飛び交いだす。

「薔薇・・・ほら、今も花壇に咲いているよ」

「蒲公英・・・綿毛を吹いて飛ばしたりするでしょ」

「沈丁花・・・これはむずかしい。匂いがいいんだけどねぇ」

全員がすっごく真剣に私のヒントを聞く。(おいおい、普段からそれくらい真剣に聞いてよ)

ヒントで分かった子は、ぱっと笑顔になり、はじかれるように答えを書く。うれしさが全身にみなぎっている。

解答すると「ワーワー」教室は蜂の巣をつっついたにぎわいだ。

12時25分、とうとうチャイムが鳴ってしまった。「5グループしかやれなかったけど、給食の準備があるから、これでおしまいね。中1の授業はすべて終了です。お疲れさま」と言った。

すると、一斉にみんな「やろーやろー!」「先生、続けてやろうよ!」「もっとやろう!」。

驚くやらおかしいやら・・・だいたい授業のチャイムって、鳴ると喜ばれるものでしょ。

ましてや4時間目の終わりのチャイムなんて、やっとお昼だとばかりさっさと終わりたいものなのに。

中学生はかわいい。これは私の口ぐせだ。

ポレポレもたぶんこの一年、自分の生徒たちとのふれあいの中で、そう実感したはずだ。

3学期末テストのプリントの最後に、「この1年の授業の感想」を書いてもらったら、みんなすごくまじめに長く書いてくれていて驚いた。

「大嫌いだった国語が、好きになった」「とても楽しかった」・・・そんなふうに書いてくれていて、この1年のねらいは達成できたかなと思う。

もちろん授業が楽しいばかりじゃダメだが、CRTの結果も全国平均よりも上だったし、ぐんぐん成績がアップした子も多かったし・・・私の任務はほぼまっとうできたと評価して、この1年をしめくくらせてもらってもいいかな?

3月20日(月)晴れ 黒尊の山々

真っ青に澄み渡った空。芽吹き間近な木々からこぼれる陽光。頂上から見渡すはるかな山並みと宇和海・・・、最高に気持ちがいい。

透明な黒尊川の渓谷をバス2台で上り、県境にある八面山に登ってきた。

ブナの原生林を見たい・・・というのが動機だった。

黒尊渓谷は大好きで何度も行くが、ブナがあるなんて初耳だったのだ。

ポレポレ、メイさんと3人で、朝一番に集合。案内してくださるのは、森林管理局の職員さんと地元の方だ。

開口一番、「今日はハードスケジュールですよ。休憩時間はありません。昼食は25分です」。

こ、こまかい。30分と言わないところがすごい。

その上、「山で植樹をしていただきますが、山桜とゆずり葉の苗木を400本用意しています。1人10本植えていただいたらいいですね」・・・10本!!

途中トイレ休憩で下車した時も、トイレの中ではご婦人たちがその話題でもちきり。

「いやー、あたしよう植えるやろか。穴は掘ってくれるがやろうねぇ」

「そりゃ掘ってくれるろ。よう掘らんで。軍手も持って来ちょらんし・・・」

げー、穴も自分で掘るに決まってるよ、と思ったが黙って聞いていた。

バスから降りると、標高1000メートル以上の八面山に登った。

頂上にはまだ雪が残っていて、びっくり。でも体は、Tシャツ1枚でも汗が出るほど暑い。

見渡す景色は、近くにこんないいところがあったとは、と感動するほどすばらしかった。

よく晴れた日だと九州まで見えるそうだ。

メイさんが「四方八方見渡せるから、八面山と言うのかも」とご明察。なるほど、そうに違いない。

昼食は地元のみなさんの手作り。おにぎり3個と熱々のしし汁、おつけものを、木のトレーに乗せていただいた。

くつろぐ間もなく25分が過ぎ、すぐ植樹。きっちり全員にクワが与えられた。

かなり急な斜面にあちこち散らばって、苗木を植えた。ポレポレがだいぶ植えてくれて助かった。植樹はお手のものだもの。

山桜が咲くころ、また見に来たい。自分が植えた場所を記憶するために、炭窯の跡を目印にした。

山深い斜面に、なんと石積みした炭窯の跡が残っていたのだ。昔の人は、こんな場所でまで炭を焼いていたんだ。

バスで口屋内小学校まで戻り、4時からC.W.二コルさんの講演会があった。

くたくたに疲れていたが、最前列に陣取りお話を聞いた。環境や教育について、うなづけるお話を流暢な日本語でユーモアたっぷりに語ってくれた。

25年前、日本はアメリカの30倍もコンクリートで護岸工事をしていたという話には、驚いた。

日本人はおかしいと思ってもなかなか口に出さない。ニコルさんに言ってくれと頼む人もいたそうだ。

おかしいことをおかしいと言うことで、村八分になった話もされた。

でも、「目に見えないものが結局人を動かす。勇気、友情、やすらぎ・・・」と力強く語られたのが、とても印象深かった。

anaguma340.jpg 登る天空には飛行機雲が・・・

3月15日(火)晴れ 数撃ちゃ当たる?!

2日続いて雪だったが、今日はようやく晴れた。

ポレポレが待っていた、宿毛市のだるま夕日写真コンテストの結果がようやく届いた。

「銀賞」だ。表彰式は27日(日)、観光開きの日だ。

ポレポレについて毎年参加しているが、表彰式のあとモチ投げやおいしいものの出店、箸けん大会など、とてもにぎやかだ。

写真展は26日から、宿毛市文教センターが会場だ。

13日は窪川町の「第1回ザ・窪川フォトコンテスト」の表彰式で、これも「銀賞」。

金賞は高知県展でも特選だった杉野節子さんで、報せを受け取った時「やられたー」と言っていた。

杉野さんにはお会いしたことはないのだが、私も「ああ、あの写真の人」とうなずいたくらい、県展の写真は印象に残っている。

続いてこんどの19日(日)は、中村市の写真コンクールの表彰式。こちらはグランプリは無く、何人か「優秀賞」でポレポレもその一枚に入ったのだ。

16日から、中村市のヨンデンギャラリーで写真展もある。

そんなわけで、今月は日曜のたびに表彰式に出かけるという、当たりようだ。

もう一つ、とどめが来た。国土交通省が行う「四万十川の写真コンテスト」にも入ったらしい。

窪川も宿毛も同じだけど、写真コンテストは前もって内示があり、ネガを提出して初めて「○○賞」という報せがあとからくる。

国土交通省のはまだその内示の段階だけど、おかしかったのはどんな写真か分からなくなっていたことだ。

係の人が電話で「ほら、あのひもがある・・・」と説明してくれるのに、本人は「???」。

ついにはFAXで送ってもらって、「あ、これか」と分かった次第。あきれた。

2月の「高知の農村写真コンクール」から始まって、今年もう5度目というのはちょっと当たり過ぎ? 賞金でおいしいものでもごちそうしてもらおうかなー。

チャレンジャーポレポレは、これからまだまだ出し続けることだろう。おかげで私も楽しめる。

kawa129.jpg 雪の四万十川

3月13日(日)雪 雪の舞う卒業式

朝起きると真っ白に積もり、まだ降り続いていた。

ポレポレは写真の表彰式で、窪川町へ。

私も卒業式なので、雪道のこともあり、いつもより早く出かけた。

係は受け付けなのだが、その前に着物を着て袴をはく先生の着付けをする約束をしていたのだ。

9時30分から、式は滞りなく進行。体育館の真ん中に空間を作り、四方から向き合うスタイルだ。

舞台側に主役の卒業生、対面する入り口側に保護者と来賓席。

舞台に向かって右側に在校生、向かい合った左側に教職員。

卒業証書は真ん中に出て受け取る。四方から祝福するこのスタイルを、私は気に入っている。

日の丸も君が代もない卒業式では、式歌として「オレンジ」を歌った。

式のあとみんなで片付けて、12時にはすべてが終了した。

ほっとして職員室にいたら、I君が挨拶に来てくれた。

脳性マヒによる肢体不自由なのだが、すごくがんばり屋で何でもやってきた。

私は1年が主な担当で、I君とはほとんど縁が無かったのだが、選択教科の時選んでくれていたのだ。

最初、選択美術はやれるだろうか? と心配した。移動も大変だし、手先もままならないからだ。

でも、染色も陶芸もキャンドルもリースもてん刻も・・・、全部一生懸命やった。それも、楽しそうに!

式のあとわざわざ職員室に来るのにも、かなりの労力がいったはずだ。歩行器をガラガラと使って入ってきた。

「先生の授業は本当に僕、楽しかった。これから行く学校にも、先生のような人がおるろうか?」

と言ったのだ。

「いるよ、いるよ、きっといるよ。若草養護学校に行ったら、I君は友達もいっぱいできて、またたくましくなるね」

と言った。これを書いていても、また涙が出そうになる。

教師という仕事を選んで、一度も後悔したことは無いけれど、学校の中のひどい部分もいっぱい見てきた。

こんな瞬間に、すべてが報われる思いがする。

午後から、農協の2階でPTA主催の祝賀会があった。

I君のお母さんが杯をさしに来てくださって、

「いつも家でもキリコ先生の話をしていました。あんなことした、こんなことしたと、楽しそうに・・・。ああいう子だからこそ、良くしてくれる先生のことが、肌で分かるんですね」

とおっしゃった。

私は特別なことをしたわけではない。むしろもっとやればよかったと反省している。I君はよく、「キリコ先生、どうしてクラブにも来てくれんが?」

と淋しそうに言っていた。私は担任でもないし、少し遠慮していた部分もある。

I君に手紙を書こうと思う。「出会えてよかった」という気持ちを伝えたい。

3月8日(火)晴れ 春がきた

雪が多くて寒い寒いと言っていたら、もうすっかり春だ。

ミモザ、水仙、ムスカリ、おきな草、ピンクマーガレット、雪柳、クリスマスローズ・・・春の花たちがみんな開いた。

野菜の花も、からし菜、白菜、菜の花が咲いている。チューリップも芽を出した。

麦は20cmほど伸び、青々としてきた。えんどう豆も、竹の支柱に巻きついて伸びている。

2月の終わりにモミ種を浸けた。稲作のスタートだ。そろそろ田んぼも始まる。

啓蟄も過ぎ、ものみな活動を始める春。人も新たなスタートを切る季節。

na034.jpg 四万十の菜の花

2005年2月の暮らし

2月28日(月)晴れ 健康第一

ポレポレはインフルエンザB型で、6日ぶりにようやく今日から出勤。

ヒダ君が「200年待っとった」と言ってくれたそうだ。

20日(日)に発熱した時は、いつもの風邪で2日ほど休めば回復すると思っていた。薬を飲めば熱は下がるのだが、動けばまた発熱。

おかしいと思って病院に行った時は、38,9度もあって看護婦さんがのけぞったらしい。その夜はなかなか熱が下がらず、めったにないことだが食欲もなかった。大学時代の失恋以来の出来事ではないだろうか。

夜更けに土佐ジローの焼きプリンを8個も焼いた。あとはネギたっぷりの熱々うどん、そんなものは喜んで食べた。

熱が下がってからも体のダメージが続いて、まる1週間は寝たり起きたりだった。

母の法事の準備のほうは妹に来てもらおうとあてにしていたら、今度は妹がA型でダウン。AもBもいっぺんに来て、私もいつ発熱するかと気が気ではなかった。

一昨日の土曜日は雪が舞っていたが、昨日はウソのように晴れ渡り、陽射しもあたたかな上天気。母の法事は、不思議なくらい毎回すばらしいお天気に恵まれる。

11時から神官さんとお客様が揃って和室で拝んだ。それからいつものように、みんなで丘の上のお墓参り。ここでも神官さんが拝んでくれている間に、みんながお米とお水を祭った。

儀式がすべて終了して、昼食の宴。みなさんでくつろいで召し上がっていただき、最後まで片付けてくれた親戚が帰ったのが夕方5時。

なんだかとてもほっとして、「お疲れさま」と言い合いながら家族で残った料理の夕食をとった。

そんなわけで、いろいろあった2月も今日で終わり。3月は仕事も一段と忙しくなる。でも、健康第一。心と体の声を聞き逃さないようにしよう。

purin321.jpg 土佐ジローの焼きプリン

2月21日(月)雪 ケヤキのテーブル

今朝起きたら真っ白な雪化粧だったので、本当にびっくりした。

暖かかったり冷え込んだり、こんな時期が体調を崩しやすいのかも知れない。

裏庭の工房も寒いので、この時期はストーブのお世話になる。工房は10坪ほどの広さだが、天井が高くワンルームなので、なかなか全体は暖まらない。

それでも体を動かす時は寒さは感じないようで、それ以上に魅力的な仕事の時は寒さを忘れているようだ。

ポレポレの近作は、ケヤキの天板がとても渋い丸テーブルだった。水曜日に納品に行って、おいしいチョコをお土産にもらって来た。

よく考えたら逆だと思うのだ。お客さまに、うちが差し上げるのが普通ではないか。

それなのに海辺に届けては魚をもらってきたり、あっちこっちで手作りのケーキやおいしいチョコをもらってきたり・・・、しっかり半分はごちそうになっている。

私からもお礼のメールを出したら、昨日電話をいただいた。テーブルが届いて、さっそく模様替えをしたの、と楽しそうにおっしゃる。

ああ、なんだか見に行きたくなってくる。私も仕事が一段落する3月中旬になったら、久しぶりに模様替えなどしようっと。

そうだ、ずっと前からポレポレに頼んでいる、テレビ台とテーブルはまだかなあ。確かサクラの木で作ってくれると言ってたんだけど・・・。

mto333.jpg シンプルだけどけっこう大きい

2月13日(日)雨 夫婦別姓

2月3日が節分、14日はバレンタインデー、というくらいは知っていたが、2日が「夫婦の日」、13日が「名字の日」なんて、今までしらなかったなあ。新聞の社説に出ていたのだ。

社説は「夫婦別姓」についても触れていた。夫婦のきずなと姓の同別は関係なかろう、という意見だった。

私たちも夫婦別姓だ。結婚した日から戸籍上は同一姓だが、ビジネスネームは今まで通り旧姓で通している。

特別ポリシーがあってそうしているわけでもないので、わざわざ説明もしないで普通に生活している。だから戸籍上も別姓だと、つまり結婚していないのだと誤解している人もいそうだ。

圭さんも先日、何かの拍子にその話になった時、別の人から聞いて戸籍上も別なのだと思っていたと言っていた。そういうことが時々ある。

戸籍上は別でも、生活上では同姓にしている夫婦も多いようで、私たちみたいな例は珍しいのかもしれない。

結婚してから今までそれでやってきて、特別困ったり違和感を覚えたりしたことはない。本当にごく普通。夫婦の関係に別姓が影響していないと言い切れる。逆に、そんなことで影響を心配するような夫婦では、なんだかねぇ・・・

不便があるとすれば、自宅の電話に出る時くらいだ。

「はい、○○でございます」と名乗りたいのだが、どっちにかかってきたか分からないので、「もしもし」という最悪の出方をしている。

便利なこともあった。私が企画した教室で、講師がポレポレだった時、まるで他人のようにそ知らぬ顔で講師紹介をした。どこまでも「先生」と呼んでしらばくれていた。

社説の主旨もそうだったのだが、それぞれの夫婦が同姓・別姓を選択したらいいと思う。実際やってみて別姓にしてもどうってことないから。

2月12日(土)曇り 高知市へ

中1のシン君の作文「釣りのおもしろさ」が優秀賞に選ばれて、高知会館で表彰式だった。

この子、じつは以前村便りに出たことがある「釣りキチ3人組」のリーダー格の少年だ。

題名の通りの作文だが、これがもうおもしろくてプロっぽくて、私には分からない専門用語はポレポレに聞いて読んだくらいだ。

作文だけでなく、詩も俳句も絵も・・・とにかくみんな釣り。徹底している。

「ここまで一つのことに夢中になれて、こんな子いいよねぇ」と、ポレポレとよく噂する子だ。

ありのままを綴った少年らしい作文だったが、1000点あまりの応募の中1ではベスト3に選んでいただいて、本人の励みになるにちがいない。

「ご褒美に釣具買ってもらうんじゃないの?」とささやいてからかったら、図星だったようでにっこり。帰りに家族4人で寄るのだろう。

私とポレポレは、表彰式のあと阪神とオリックスの二軍の試合を見た。けっこう人が集まっていて、マック鈴木の周りはサインの人だかりができていた。

そのあとさらにヴィッセル神戸の練習を見ようと行ったら、もう終わっていてがっかり。カズのプレーを見たかったのに。

mak319.jpg 一番人気はこの人

2月11日(金)晴れ 三連休

今日から三連休。ポレポレは朝早く起きて、仁淀村の秋葉祭りの撮影に出かけた。

私も誘われたが、いいお天気の中一緒に出かけたら楽しいと思っても、仕事が山積みしていてそっちを選択せざるをえなかった。

仕事はそろそろ16年度末になり、この一年の総まとめをしなければならない。

いろいろな締め切りや発表の日も、近づいている。さらに明日は高知市で、小砂丘賞の表彰式がある。

そんなわけで仕事の一日だったが、休憩して庭に出ると梅が咲いていて季節を感じる。

薪ストーブを焚くので、そのエネルギーを使わない手はない。一日中ビワの木を煮て、帯締めと羽織の紐を染めた。

若い時に使った薄いピンクの帯締めが、すごくいい錆朱色になってほれぼれする。母のグレーの羽織の紐も、落ち着いた深い朱になった。

だからシルクは好きなんだ。いくらでも変化して、長く楽しめる。仕事しながら一石二鳥。まあいい休日になった。

maki320.jpg まるで料理をするみたいな感覚で、片手間に染めるキリコ流

2月10日(木)晴れ 農村の写真コンテスト

今日、高知新聞に小さくポレポレの名前が出た。

毎年応募している「農村の写真コンテスト」で佳作に入選したのだ。

これまでも「銅賞」や「佳作」に入賞したことがあり、本人はもっと上をねらっていたふしがある。ちょっとがっかりしていた。

でも、佳作の下が「入選」で、佳作以上が全国コンクールに送られるのだから、まだチャンスはある。

入賞作品は毎年、県立美術館に掲示される。今年のポレポレの作品はどんなのだろう。

今までこのコンクールで入賞した作品は、私はどれも好きなのばかり。田んぼの畦を帰る夫婦のシルエットの「さあ帰ろう」や、タバコの田んぼの「畝」など。県展の入選作品よりも、私だったらこっちを選ぶ。

思うに農的暮らしをしている人が撮った農村の写真は、漁師が撮った海の写真、教師が撮った学校風景みたいなものだと思うのだ。なんだかわけが分からないが、とにかくポレポレには「農ある風景」をライフワークにしてほしい。

yasai088.jpg レース状になった冬野菜。人間はどこを食べるの?

2月9日(水)曇り ポシャギ

ホームページを開設してから、2周年になった。

恥ずかしいほど稚拙なホームページだが、「そのうち慣れたらリニューアルするさ」とばかり、とにかくスタートしたのが2年前の2月9日。

ちっとも上達せず、忙しくてあまりパソコンの前にも座れず、細々となんとか続いてきたというところだろう。おおいにあてにしていたパートナーは、さっさと写真に走ってしまった。

でも、ホームページのおかげで多くの人と知り合えた。直接お会いした人もまだお会いしていない人も、なんだか昔からの友達のような気持ちにさせていただいている。ありがたいことだ。

先日のポシャギの教室の時も、「ホームページいつも楽しみにしています」と初めて会った人に言われて、恥ずかしかった。こちらは相手のことを何も知らないが、相手は私の日常をよくご存知というのは、考えてみればちょっと恐いことだ。

さて、そのポシャギだが、韓国ブームでけっこう雑誌に取り上げられだした。

私が見たのは「和風が暮らしいい。」だが、「おしゃれ工房」やそのほかの雑誌にも出ている。

ポシャギには「福」という意味があり、「福を呼ぶ、福を包む」ということで、お正月にも飾るほど縁起がいいのだ。

私は「ばーば工房」の千代子さんにいただいたのが、ポシャギとの出会いだった。

節絹と呼ばれる白いシルクを縫い合わせた布は、まるで羽衣のように薄くてつやがあって、一目でとりこになってしまった。

間仕切りにすると向こうの景色が透けてきれいだし、首に巻いても肌触りがよくて暖かい。

さんざん楽しんだあと、教室にはスカートの上にエプロンとして巻いて行った。

千代子さんに「ぜひみんなにポシャギの縫い方を伝授してあげて」と頼んでいたら、新しい作品を3枚も持ってきてくれた。もちろん、すべて手でちくちくと縫い上げたものだ。

千代子さんのポシャギは、16日から中村市のヨンデンギャラリーで展示される。

yonden304.jpg ビワ、ローリエ、茜、ミント、藍の5色で染めて、ポシャギを縫う

2月6日(日)晴れ 大方マラソン大会でポレポレ入賞

いつものようにご飯を食べ、まるで写真撮影にでもフラリと出かけるみたいに、モクとハナを連れて出かけた。

年に1度の大方マラソン大会に申し込んでいたようだが、気負いは全然なく「ちょっと汗を流してくるわ」という感じ。

11時20分スタートと聞いていたので、少し前に私も応援に行った。

会場の運動公園は大勢の人で、小学生の部がゴールしている。天気もよく、近隣の市町村からの参加者やその家族でにぎわっていた。

おぜんざいや綿菓子のサービスもあって、ポレポレの生徒のヒダ君も応援に来てくれていたので、誘って食べた。

ヒダ君はポレポレが言ったことは必ず記憶していて、手仕事展にも来てくれた子だ。今日もすでに開会式前から来てくれていたそうだ。

一般男子の部スタート5分前。写真を写そうとしてかまえて、オヤッ?

控えめなポレポレが、先頭に並んだ高校生軍団に混じって、けっこう前の方に並んでいる。

もしかして高校生に付いて行く気?! やめた方がいいのでは・・・。宿毛工業の生徒たちは、すごいスピードでアップしていたわよ。

運動公園をスタートしたランナーたちは、海辺への道をひた走る。そしてUターンしてゴール。

ものの10分もすると、もう3kmの先頭の高校生が戻って来た。2人目も高校のユニフォーム姿。3人目がようやく一般のランナーだった。

そろそろカメラを用意するか・・・と思ったとたんに、「えっー」と眼を見張った。

すごい勢いでポレポレがゴールしてくる。どっどうしたの! 

「早っー!」と声をかけたが、さすがに汗だくで苦しそうな表情。かなり頑張って高校生と張り合ったのだと分かる。

記録は11分19秒。35歳から59歳の部で第3位に入賞で、表彰状とメダルをもらった。

久々のマラソンメダルは、ちょっとうれしそうだった。

それ以上に感動したのは、無口そのもののヒダ君が、なんと「がんばれ!」と大声で応援してくれていたそうだ。終わってから「ヒダ君、3位にはいったよ」と言ったら、一言「やるやん」と言ったという。

hiro313.jpg   hiro315.jpg ポレポレの左は塩田さん

2月2日(水)雪 積雪30cm

見たことがないほどの大雪。リビング前のベランダにモノサシを入れると、30cmだった。

ウッドデッキでこの深さということは、外はもっと積もっているのだろう。

7時くらいには空が明るかったが、9時からまた雪がどんどん降りだした。

車も通らず、人っ子一人見えない村では、たくさんの小鳥たちだけがやけに目立つ。何もかも雪にうずもれてしまって、食べる物が無いのだろう。

今年は西洋ヒイラギの赤い実も、一つも残さずみごとに小鳥たちが食べてしまった。

その西洋ヒイラギだが、雪の重みで真二つに幹が割れてしまった。

ポレポレがテープで巻いてくれたが、枯れてしまうかも知れない。北国の雪の恐さが、少しだけ分かった気がする。

yuki300.jpg 雪かきをして通路を作るポレポレ

2月1日(火)雪 行きはよいよい、帰りはこわい

やはり朝起きると積もっていたが、行きはなんとか大丈夫だった。

私よりも1時間遅く出勤するポレポレは、「帰りが大変だ」と判断して、今日は仕事を休んだという。

ポレポレが正解だった。帰りは道幅が分からないほどの雪で、おまけに風で山から吹雪のように舞う雪で視界がさえぎられ、ワイパーも役に立たないのだ。

久しぶりの恐怖。すれ違う車が無いのが幸いだった。タイヤの跡も見えない真っ白な道路を、のろのろと這うように進み、あと少しで自宅というところでスリップ。

車を止めて、歩いて帰った。きっとこの景色は、国道沿いを走る人には想像できないと思う。

夜になっても、雪はごんごん積もっている。

薪ストーブを焚き続けながら、時々ベランダの雪の深さを確かめたりしている。

じたばたしても始まらない。明日はきっと近年まれな大雪だ。今夜は静かに、本でも読もう。

moku303.jpg モクは雪にうずもれて楽しんでいる

2005年1月の暮らし

1月30日(日)晴れ モクの賞金

土佐清水市で「第一回わんにゃんカーニバル」があって、ポレポレがモクとハナを連れて参加した。

木工教室でお世話になった「さくらクラブ」の主催なので、わざわざ案内をいただいたのだ。

本当は私も行って、1匹ずつ連れたら良かったのだけど、行けなかった。

カーニバルでは「ビューティーコンテスト」や、飼い主との信頼関係を競う競技など、賞もいろいろあったらしい。

出発する前、ポレポレは不安そうだった。

「洋服とか着せた、かわいい犬ばかりなんだろうなぁ?」

なにしろモクとハナは、毎日山や田んぼをかけまわっているから、泥や種がくっついて汚い。

せめてブラシをかけ、モクが赤、ハナが青のバンダナを首に巻いた。

「もし、飼い主が離れたところで呼んで、向こうから駆けて来る・・・という競技だったら、やばいなぁ」

「そりゃそうよ。ハナは放したとたんに山に向かって駆け出すわよ」

眼に見えていた。ハナは散歩に出て自由にしてやったとたんに山に駆け上がって、いくら呼んでも帰ってこないことが多いのだ。

モクは呼べばちゃんと来て、おとなしく帰る。あきらめて先に帰っていたら、しばらくたってハナがひょこひょこ冒険を楽しんだ顔で戻って来るのだ。

あまりに帰りが遅いと、ポレポレが怒る。ハナは一応バツの悪い顔をするが、山を駆け回る癖は直らない。

元気な2匹を連れてさぞかし大変だろうと気になっていたら、2時すぎに笑顔で帰宅した。

「どうだった?」と聞くと、手に「2等」と書いた商品券の包み。

ビューティーコンテストはおよびじゃないので遠巻きに眺め、飼い主と一緒にかけっこ競技でモクが勝ち抜き、決勝で2等になったらしい。

うーん、それなら納得。飼い主も犬も毎日走っているものね。

「その間ハナはどうしてたの?」と聞くと、桜の木につながれて待っていたとか。

勝気なハナもさぞかしかけっこしたかったことだろう。私も行ってあげればよかったと、ちょっとハナに悪いことをしたと反省している。

モクが初めて稼いだ賞金は、3000円。おいしいクッキーでもやらなきゃあね。

私はなんとか風邪も治まり、元気回復。今日も外は寒い一日だった。

mh073.jpg 海で遊ぶモクとハナ

1月25日(火)雨 「ものづくり名人」

高知県が今年から始めた事業、「ものづくり名人」の派遣に申し込んだところ、ラッキーなことにさっそく授業に来てくださった。

私が担当している、3年生の選択美術。印章作りの名人、高知市の橋本さんと国見さんのご指導である。

できるだけ若いうちに本物に触れることは、とても重要なことだと平素から思っている。

名人から直接学んで、ものづくりの楽しさや喜びを知ってほしい。それがきっかけで、興味を持つ子もいるのではないか。

お二人とも本当に分かりやすく、熱心にきっちりとご指導くださった。

それに、授業の中の言葉の端々に教育的配慮があって、メモを取っておきたかったほど感動した。

単に技術を指導するだけではなく、篆刻を通して「世界に一つだけの自分の作品を作る」ことの意味を、生徒たちに伝えてくださった。

P君のあんなに真剣な顔は見たこと無かったし、作業が早くて美しいのも意外(?)な発見だった。

失敗して悲鳴をあげたIちゃんには、ちゃんと失敗を生かしていいハンコにする方法を教えてくださった。

「失敗すると、二度楽しめるんだよ」とおっしゃった言葉が、耳に残っている。

障害を持つU君もしっかりがんばって仕上げて、お礼の挨拶も気持ちのまんまだった。

「本当に名人だった」「ちょっと手を入れて直してもらうことで、見違えるように良くなって感動した」・・・

きっとほかの子も同じ気持ちだったろうし、私もうんうんうなずいた。

橋本さんと国見さんは、これからも出張授業を続けてくださるそうだ。

小学2年生くらいから、お年寄りまで、誰にでも出来て日常使う機会も多いハンコ。ぜひ、学校や生涯学習教室で、企画をオススメする。

今日はさんさんテレビの取材もあった。放映は明日、昼は11時45分から55分。夕方は6時17分から40分。

                   saga038.jpg

1月22日(土)晴れ 大根干し

凍てつく寒さだ。

昨日は朝起きると、粉雪で真っ白。でも、国道まで出ると、うそのように雪が無い。

毎回そうなので、デジカメですぐ写真を撮って、職場で見せた。でないと信じられないほど、景色が違う。

今日も寒かったが、意を決して大根干しをすることにした。

食べきれない大根は、スが入ってしまわないうちに加工しなければならない。

漬物か干し大根か、たいがいどちらかだ。今年は干し大根にした。

庭から全部抜いて洗って皮を剥ぎ、葉を落として割ってしゅろの葉を通してつるす。

干し柿もしゅろの葉を紐代わりに使うが、大根の時もまったく同じだ。

真っ白い大根に、緑のしゅろの葉を通してつるすと、いかにもこの季節にふさわしい風物だ。

自然素材を利用する知恵を、昔の人はちゃんと知ってたのだと感心する。

葉は乾燥すると入浴剤になる。大根は最後まで捨てる部分が無い。真冬の貴重な野菜だ。

daikon.jpg 裏の軒下につるした大根

1月18日(火)晴れ 通勤路

毎日、朝日に向かって出勤し、夕日に向かって帰宅する。

帰り道の夕日と空は、本当にきれいだ。今ちょうど帰宅時間と夕日がピッタリ合う。

真っ赤な大きな夕日、海に突き出すように連なっている山並みは、青ずんだ灰紫色だ。

空は一日として同じ日はない。今日は雲がオレンジがかったピンクに染まり、美しかった。

帰り道にこの景色を眺めながら車を走らせると、仕事の疲れも吹っ飛んでしまう。

逆に朝は、海がきれいだ。キラキラと日が射し、これから一日を過ごす海辺の小さな町を一望しながら、国道を下る。

私は最高の通勤路に恵まれている。晴れた日は・・・だけど。

今日は「田舎っちゃん」のhiroさんが訪ねて来てくださって、初対面なのに話がはずんだ。

ほんの1時間余りだったれど、今度はぜひポレポレともゆっくりお話していただきたいと思った。

hiroさんの中山間地域の研究は、まさに私たちの生き方と直結していて、いろいろ教えていただきたいことがいっぱいだ。

1月16日(日)晴れ 大原富枝賞

本山町の大原富枝文学館で、表彰式があって出かけた。

年に一度の表彰式に出かけるようになって、もう8年になる。早いものだ。

今年、私は高校生の部の随筆と小説の最終審査をした。

それで、講評と賞状の授与を頼まれていたのだ。

ほかの4人の審査員はみな年配の男性なので、紅一点(一応)として着物で出席しようと早くから決めていた。

ところがこれが失敗のもと。今でも悔やまれる。早朝からあわてて着付けたからか、普段着慣れないためか、苦しくて苦しくて・・・。

昼食は「四季彩館」でおいしいお肉や野菜がたっぷりだったのだが、半分も入らなかった。

これは私にしたらめったにないことだ。

町長さんや教育長さんを前に、残すのは本当に恥ずかしくて身の置き場が無かった。こんなにおいしい料理をごちそうしてくださっているのに、いっぱい残すなんて・・・。

式のあと記念撮影をして終了。高知市の県立美術館で、ポレポレが見たがっていた「エルスケン写真展」を見て帰った。

fukumi008.jpg 左から2番目の私の隣から4人が、各部門最優秀者。

1月13日(木)晴れ 評価

至急発送したい書類を出しに局に行ったついでに、少し貯金をしようとしたら免許証の提示を求められた。

お金を引く時には珍しくないが、預ける時にまで言われたのは初めて。しかも通帳には「本人確認済み」のスタンプが押されているのに・・・。

いつも行く局だったので、素直に出してコピーをとる間待って、いざ貯金しようとしたら今度は「通帳が複数あるので、1冊解約してほしい」と言う。

初耳だ。もう何年もいろいろな局に出入りしているが、本当に初めて聞いたので驚いた。

そう言ったら、「法律で決められています。複数持つことは違反になります」とのこと。

違法なことをするつもりはさらさら無いが、急にそんなふうにとがめられても釈然としない。

通帳を作る時にそう言ってくれたらよかったのに・・・。

貯金するつもりが通帳解約になり、よけいな現金をバックに入れて出ることになってしまった。

すぐ近くに銀行があったので、そこに飛び込んでまとめて貯金した。

手続きの間待っていたら、「支店長代理」という名刺を持った男性が来て、「ありがとうございます」とわざわざお礼を言ってくれた。

証書といっしょにお土産ももらって出る時も、奥から支店長さんが立って来て「ありがとうございます。助かります」とにこやかだった。

お土産の袋には、レンジ用ゆで卵器(便利!)、深層水キャンディ(職場で配って喜ばれた)、歯ブラシ2本と歯磨き3箱(ちょうど欲しかった)、トイレクリーナー(毎日使うからよかった)、そのほかは定番のティッシュ、タオル、キッチンペーパー、ラップが入っていた。

局と銀行、どちらの窓口でも私の行為は同じ、ただ貯金したかっただけ。この対応の差は何?

評価なんて所詮そんなもんだ。相手しだいで、対応が「犯罪者」と「お客さまは神さま」くらい違う。

ポレポレも小学時代に日本の小学校からアメリカの小学校に転校した時、算数の評価が一変した話をしてくれた。

日本にいたらきっと「自分は算数が苦手だ」と劣等意識を植え付けられていただろうが、アメリカでは算数の優等生としてクラスの壁に答案が張り出されたという。

むろんポレポレ本人の力は同じだ。周りの評価で雲泥の差だということ。

だからポレポレは、アメリカでの1年間が本当に楽しくて、日本での5年間よりもはるかに心に焼き付いている・・・と言う。おそらくその1年間に、彼が大きく伸びただろうことは、容易に想像がつく。

この話を生徒にすると、すごく喜ばれる。それもクラスでも勉強ができない少年たちが、目を輝かせて聞く。

一日先生に来てほしい人のアンケート調査があった時、「キリコ先生の旦那さん」と書いた生徒が大勢いたくらいだった。(笑)

最近、高知新聞の読者欄で、不登校の小学生がもらった「白紙の通知表」が話題になっている。

ショックを受けた子どもの気持ちを、親が代弁して投稿したものだ。

私の周りでは、白紙のほかに、オール1だったり、不登校というだけで人間性まで「オールCになっていた」と泣いていた親もいた。

評価を絶対的なものとして受け止めないで。ましてや相手の気持ちも想像すらできないような、そんな人間がつけた評価などで自分をつぶすことなかれ。

あなたを認めてくれる人、あなたを伸ばしてくれる人は、きっといる。

1月10日(月)晴れ リフォーム

風が強く、庭にいると鼻水が出てくる寒い一日だった。

2mほどになったモミの木を、庭に移した。毎年クリスマスには、室内で飾り付けていた鉢植えの木だったが、成長して根がかわいそうになっていた。

ポレポレがいちじく、さくらんぼ、グミ、アメリカデイゴ、ナンキンハゼの剪定をした。

威勢良く軽トラが乗り込んできたと思ったら、洋裁の先生のご主人だった。

「念願の田舎家を買って、引っ越しました!」とご挨拶。

リフォームの名人のご夫婦で、田舎の百姓屋敷を買いたいと、あちこち探していたのだ。

四万十川沿いの山の上で、一日中日当たりのいい75坪の土地に35坪の母屋、ほかに納屋などもあって信じられないような安価だったという。

システムキッチン1台ほどの値段で、自分の土地と築30年のりっぱな家が手に入るのは、やっぱり都会では考えられないだろう。

それでも空き家になって14年ほどたっていたので、7部屋のうち1つを畳の部屋に、残りは全部ご主人が3ヶ月ほどかけて床を張ってリフォームしたという。

「広い教室もできました。今日写真持ってくればよかった」と残念がるので、「二人でお邪魔します。きっとステキなリフォームだと思うので、拝見したいし・・・」と約束した。

これまで住んでいた中村のお家も、お二人がすみずみまで手を入れてステキな暮らしだった。

とにかく新品を買うのではなく、捨てられたタンスや壷などを拾ってきて、それを生かすのが楽しいというお二人。

拾われてきた4匹のネコちゃんも、きっと新しいお家で伸び伸び暮らしていることだろう。

1月8日(土)晴れ ツバメを見た

午前中は建築業者さん二人がみえて、打ち合わせをした。

キリコ設計の4つめの建物が、早ければ春に着手となる。

誠実で話しやすそうな業者さんで、まずはほっとした。家は高い買い物なので、業者さん選びを間違えたくない。

午後はエム・ツウさんを訪ねた。いつも温かでハイセンスな暮らし。会うと心に豊かなものをいっぱいもらう。

いつだったか「私は暮らしが好きなの」とつぶやくのを聞いて、「あー、この人は仲間だ」と勝手に決めたのだった。

今書店に並んでいる「和風が暮らしいい。」19号には、エム・ツウさんのカレンダーが付録についている。

それに登場する作家さんのお茶碗でご馳走になり、盛り上がっているところへ市長さんが登場。

新聞やテレビでお顔を拝見するたびに、「本当にお忙しくて大変だろうなぁ」とポレポレと話していた。

でも、柔和なお顔がつやつや、活力いっぱいだったので安心してうれしくなった。陰で支えるエム・ツウさんの内助の功は言うまでもない。

こんなに気配りとリーダーシップを兼ね備えたトップは、なかなかいるものではない。

難しい時代だからこそ、トップがどんな人かが重要だ。

それにしても、市役所にもうツバメが来ていたのには、びっくり!! 早いなぁ。

1月7日(金)晴れ  脳を育てる

ある出版社から感想と授業プランを依頼されていた本、「読み書き計算で脳を育てる」を最後まで読んだ。

とてもおもしろかったし、寺子屋式の教育を提唱する著者にも共感した。

研究者らしく脳のデータをたくさん図示していたが、掲示板でも話題になった「朗読」は脳の活性化にとてもよいとのことだ。

興味深いのは「暗唱」ではそれほどでもなく、やはり「音読」がいいということ。

読むのつぎは書くで、漢字を覚えるにも書いて覚えるのが一番、脳が働いているという。

勉強は長くやればいいというものではなく、たとえ30分でも集中してやることが肝心。そして、毎日継続するのが、脳にはいいそうだ。

そういえばオカリナ仲間のKさんは、毎朝4時に起きて勉強を続けていると聞いた。

昼間はご主人と大規模な農業をしていて、ボランティア活動にも熱心な彼女。60代とは思えない好奇心と生き生きした表情は、脳の活性化のたまもの?!

1月6日(木)雨 うれしい日

懐かしい声を聞いた。エム・ツウさん!

おっとりと独特のイントネーションを耳にするのは、久しぶりだった。

ポレポレに仕事の依頼だったが、「私もくっついて行きます!」とうれしくなって叫んだ。

エム・ツウさんは高知市でギャラリーを2つも経営し、雑誌にも関わっている。

宿毛市に勤務していた時、エム・ワンさんと3人でコーヒー飲んでおしゃべりするのは、最高に楽しいひと時だった。

エム・スリーは、藍染めのM先生。エム・フォーは、メイさん・・・。宿毛市で出会ったステキな女性たちはエムつながりなのに気づいて、一人うれしくなっている。(出会った順です。念のため)

いいことは連鎖する。

帰宅すると、お土産がたくさん届いていた。台湾土産、ハワイのお土産・・・、思いがけずアドラーさんからは本を送っていただいた。

アドラーさんらしい封筒にも心惹かれたし、お手紙も温かかった。

本のタイトルは「新しい社会と子育て」野田俊作著。

とても読みやすそう、今夜はこれから一気に読んでしまおう。ドライマンゴーをいただきながら、雨の夜の読書も至福の時だ。

1月3日(月)晴れ 迎春

ようやく更新可能。お久しぶりの村便りです。

地球環境も国際社会も日本も、どんどん悪くなっていった2004年だった。

新しい年は少しでも歯止めがかかり、人間の叡智が生きる年になりますように・・・。

今年、はーと・らいふ村のキィーワードは「選択」。

去年の「挑戦」はポレポレの提案だったけど、今年は私が提案させてもらった。

本当に大切なものや時間を選択して、暮らしていきたいと思う。

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昨日は地域の「初会」。ポレポレが大月町の「水かぶり」の撮影にでかけるというので、私が出席した。

ダッシュ村で全国放送された「七立栗」の保存の話し合いや、自主防災組織の立ち上げなどが決議された。いよいよ村にも消防団ができるようだ。

七立栗はこの村にだけ自生する栗で、年に7回実をつけると言われている。

放送後、役場を通して全国から「苗がほしい」と問い合わせがきているそうだ。

今年は我が家でも、空いている畑に20本ほど植え付けようと思っている。

80戸しかない小さな村だが、昨年は2戸転入があったようで、挨拶があった。

日当たりのいい丘に小さな家が建ったのは知っていたが、大阪から来た御夫妻を見たのは初めてだった。

「初会」は、村の役員さんを決める場だけでなく、地域の人と年に一度顔を合わせる機会にもなっている。

hinode370.jpg 元旦の入野の日の出(ポレポレ撮影)